米大手信用調査会社Experianは、AIによる詐欺被害が2026年に急増し、重大な「転換点(Tipping Point)」を迎えるとの予測を発表しました。生成AIが単なる対話から自律的な行動(ショッピングや契約など)を行う「AIエージェント」へと進化する中、企業はどのようなリスクに直面するのか。日本の商習慣やセキュリティ事情を踏まえ、実務的な対策とガバナンスのあり方を解説します。
AIエージェントの台頭と新たな詐欺リスク
生成AIの進化は、テキストや画像を生成する段階から、ユーザーに代わってタスクを実行する「エージェント型」へとシフトしています。Experianのレポートが警鐘を鳴らすのは、まさにこの「AIエージェント」が普及する2026年前後のタイミングです。消費者がAIに買い物を代行させたり、金融取引を任せたりするようになれば、攻撃者はそこを狙います。
従来、詐欺被害といえばクレジットカード情報の盗用やフィッシングサイトへの誘導が主でしたが、今後は「AIエージェントそのものを騙す」あるいは「AIエージェントになりすます」といった高度な手口が予想されます。これによる被害額は巨額に上ると予測されており、単なる技術トレンドの変化ではなく、社会的なリスク管理の転換点として捉える必要があります。
ディープフェイクと本人確認(eKYC)の攻防
日本国内でも、金融機関やシェアリングサービスを中心に、オンライン本人確認(eKYC)が普及しています。しかし、生成AIによるディープフェイク技術の高度化は、このセキュリティ基盤を脅かしています。静止画だけでなく、リアルタイムで生成される動画や音声による「なりすまし」は、従来の写真照合システムを突破する可能性があります。
特に日本企業は、「おもてなし」や「利便性」を重視するあまり、ユーザー体験(UX)を損なうセキュリティ強化に慎重になりがちです。しかし、AIが悪意を持って精巧な偽造身分証や生体情報を作成できる現在、UXとセキュリティのバランスを再考する必要があります。本人確認プロセスにおいて、AIが作成した合成アイデンティティ(Synthetic Identity)を見抜くための多層的な防御策が不可欠です。
日本市場における「信頼」の脆弱性
日本のビジネス環境は、性善説に基づいた「信頼」で成り立っている側面が強くあります。また、日本語という言語の壁が、海外からのサイバー攻撃に対する一種の防波堤となっていました。しかし、大規模言語モデル(LLM)の性能向上により、流暢かつ自然な日本語でのフィッシングメールや詐欺チャットが容易に作成可能となっています。
これに加え、日本特有の組織文化として、上意下達のコミュニケーションが詐欺に利用される「CEO詐欺(ビジネスメール詐欺)」のリスクも高まっています。経営層の声や動画をAIで複製し、緊急の送金を指示された場合、現場の担当者がそれを疑い、確認することは心理的に困難です。技術的な対策だけでなく、組織内の確認フローや文化的な脆弱性への手当ても求められます。
「AI対AI」の構図と防御側の進化
攻撃側がAIを使う以上、防御側もAIを活用しなければ対抗できません。不正検知システム(Fraud Detection)においては、従来のルールベース(「深夜の海外利用」など単純な条件)では対応しきれなくなっています。正常なユーザーの振る舞いと、AIによって模倣された振る舞いを見分けるための「行動的バイオメトリクス(キー入力のリズムやマウスの動きなど)」や、AIによる異常検知モデルの導入が進んでいます。
ただし、AIモデル自体への攻撃(Adversarial Attacks)や、AIの判断根拠が不明瞭になるブラックボックス化の問題(説明可能性)も考慮しなければなりません。特に金融や保険などの規制産業では、なぜその取引を不正と判断したのかを説明できなければ、コンプライアンス上のリスクとなります。
日本企業のAI活用への示唆
2026年の「詐欺の転換点」に向けて、日本の意思決定者や実務担当者は以下の視点を持つべきです。
1. 「性悪説」に基づいたAIエージェント設計
自社でAIサービスを開発・導入する際は、そのAIが悪意ある入力によって操作されるリスク(プロンプトインジェクション等)や、ユーザーになりすましたAIボットからのアクセスを前提とした設計を行う必要があります。「ゼロトラスト」の原則をAIエージェントとの対話にも適用すべきです。
2. 本人確認プロセスの多層化
eKYCにおいては、単なる画像照合に頼らず、デバイス情報、行動履歴、そして「Liveness Detection(生体検知)」技術を組み合わせる必要があります。ベンダー選定の際は、ディープフェイク検知能力を重要な評価指標に加えるべきです。
3. アナログな確認手段の再評価
逆説的ですが、重要な意思決定や高額な取引においては、デジタル完結にこだわりすぎず、物理的なデバイス認証や人間による最終承認プロセス(Human-in-the-loop)を残すことも有効なリスクヘッジです。特にBtoB取引においては、AI時代だからこそ、ハイタッチな確認フローが最後の砦となります。
AIは業務効率化の強力な武器ですが、同時に新たな脆弱性も持ち込みます。リスクを正しく恐れ、技術と運用の両面から備えることが、来るべきAIエージェント時代の競争力となります。
