米国では約4,000万人が医療アドバイスを求めてChatGPTを利用しているという衝撃的なデータが明らかになりました。この事実は、一般ユーザーのAI利用行動が専門家の想定を超えて広がっていることを示唆しています。本稿では、このトレンドを単なる海外の事例として片付けず、日本の法規制や商習慣に照らし合わせた際、企業がヘルスケア領域や高リスク領域でAIを活用する上で留意すべきポイントを解説します。
米国における「シャドーAI医療」の実態
英国のDaily Mailが報じたデータによると、米国では成人の約8人に1人、推計4,000万人が日常的にChatGPTを医療アドバイスのために利用しているとされています。これは、専門家の監修を経ていない汎用的な大規模言語モデル(LLM)が、事実上の「一次診療」の役割を果たしてしまっている現状を浮き彫りにしています。
米国においてこれほど利用が進む背景には、高額な医療費や予約の取りにくさといった医療アクセスへの課題があります。一方、国民皆保険制度が整備され、比較的容易に医師の診察を受けられる日本においても、この傾向を対岸の火事と捉えるべきではありません。「病院に行くほどではないが不安がある」「セカンドオピニオンが欲しいが医師には聞きづらい」といった潜在的なニーズは日本でも高く、ユーザーが手元のスマートフォンで手軽にAIに相談するという行動変容は、すでに進行しつつあると考えるべきでしょう。
LLMの構造的限界と「ハルシネーション」のリスク
企業がAIサービスを開発・導入する際、最も警戒すべきはLLMの「もっともらしさ」です。LLMは確率的に次の単語を予測する仕組みであり、医学的な真偽を理解しているわけではありません。そのため、自信満々に誤った情報を出力する「ハルシネーション(幻覚)」のリスクが常につきまといます。
エンターテインメントや創作支援の分野であれば、多少の不正確さは許容されるかもしれません。しかし、医療や健康に関する領域では、誤ったアドバイスがユーザーの健康被害や、適切な受診タイミングの遅れ(受診控え)につながる可能性があります。特に、「この薬とあのサプリメントの飲み合わせは?」といった具体的かつ専門的な問いに対して、古い学習データや誤った推論に基づいた回答が生成されるリスクは、サービス提供者にとって重大な法的・倫理的責任問題となり得ます。
日本の法規制と「医療行為」の境界線
日本国内でヘルスケア関連のAIサービスを展開する場合、避けて通れないのが「医師法」および「薬機法(医薬品医療機器等法)」の壁です。医師法第17条により、医師以外が診断や治療といった医行為を行うことは禁止されています。
AIが「あなたの症状は〇〇病の可能性が高いです」と断定的な出力を行えば、それは診断とみなされ、無資格診療として違法となるリスクが高まります。総務省や厚生労働省のガイドラインでも、AIによる健康相談はあくまで「一般的な医学情報の提供」や「受診勧奨」に留めるべきであり、個別の診断を行ってはならないという原則が示されています。
したがって、日本企業がこの領域でAI活用を進める場合は、プロンプトエンジニアリングやシステム設計によって、「診断を行わない」「必ず専門医の受診を促す」といったガードレール(安全策)を厳格に実装する必要があります。
RAGと専門家による監修の重要性
汎用LLMをそのまま医療相談に使うことのリスクを低減するため、実務的にはRAG(検索拡張生成)の技術が不可欠です。RAGは、AIが回答を生成する際に、信頼できる医療ガイドラインや論文などの外部データベースを参照させる技術です。これにより、AIの回答を根拠のある情報に「グラウンディング(根拠付け)」させることが可能になります。
しかし、RAGさえあれば万全というわけではありません。参照元のドキュメントが正しくても、AIが文脈を読み違える可能性は残ります。そのため、ヘルスケアAIサービスの開発においては、エンジニアだけでなく、医師や薬剤師といったドメインエキスパート(専門家)を開発プロセスに巻き込み、回答の精度や安全性を継続的に評価する「Human-in-the-Loop(人間が介在する仕組み)」の構築が、日本市場での信頼獲得には不可欠です。
日本企業のAI活用への示唆
今回の米国の事例と日本の状況を踏まえ、実務担当者が押さえるべきポイントは以下の通りです。
- ユーザー行動の変化を前提にする: 自社が意図していなくても、ユーザーや従業員はAIに専門的な質問を投げかけます。社内利用においては「AIの回答を鵜呑みにしない」ためのリテラシー教育を、対顧客サービスにおいては、過度な期待を抑制するUI/UX設計が求められます。
- 「診断」と「情報提供」の線引きを明確化する: 新規事業としてヘルスケアAIに取り組む場合、法務部門と連携し、どこまでが一般的な健康アドバイスで、どこからが医療行為になるのか、法的リスクを詳細に精査してください。
- 技術と運用の両輪でリスク管理を行う: ハルシネーションを完全にゼロにすることは困難です。RAGなどの技術的対策に加え、免責事項の明記、異常回答時のフェイルセーフ(専門窓口への誘導など)、そして事故発生時の対応フローを事前に策定しておくことが、企業のガバナンスとして求められます。
