「リコリス(甘草)」の菓子は、その独特な風味ゆえに好みが極端に分かれますが、熱狂的なファンには代えがたい価値を持ちます。生成AIの世界においても、万人に受け入れられる「平均的な回答」と、特定のユーザーや文脈に深く刺さる「尖った回答」のトレードオフが議論されています。本記事では、この「リコリス問題」を切り口に、AIの調整(アライメント)がもたらすビジネス上の課題と、日本企業が取るべき戦略について解説します。
「無難な正解」が招くビジネス価値の希釈
現在の大規模言語モデル(LLM)の多くは、RLHF(人間からのフィードバックによる強化学習)という手法を用いて、有害な出力を抑制し、人間にとって好ましい回答をするように調整されています。これは安全性や倫理的な観点からは必須のプロセスですが、副作用としてモデルの出力が「平均化」され、当たり障りのない内容に収束しやすいという傾向を生んでいます。
これを象徴するのが「リコリス問題」というメタファーです。リコリス菓子のように「好みが分かれるが、一部には熱狂的に支持されるもの」を、AIが生成するのは苦手です。AIはリスクを回避しようとするあまり、誰からも嫌われない「ミルクチョコレート」のような回答を選びがちです。しかし、ビジネスの現場、特に専門性が求められる領域やクリエイティブな開発において、真に価値があるのは「誰にでも当てはまる一般論」ではなく、「その状況に特化した鋭い洞察」であることが多々あります。
日本企業における「過剰な安全性」のリスク
この問題は、品質管理やコンプライアンス意識が非常に高い日本企業において、より顕著な課題となります。日本の組織文化では、炎上リスクやハルシネーション(もっともらしい嘘)への懸念から、AIの出力に対して過度なガードレール(制限)を設けようとする傾向があります。
もちろん、顧客対応や契約書作成支援など、高い正確性と中立性が求められるタスクでは「ミルクチョコレート」的な安全さが最優先です。しかし、新規事業のアイデア出し、マーケティングのコピーライティング、あるいは社内エンジニアのコード生成支援といった場面でまで「無難さ」を強制すれば、AIを導入する意味そのものが失われてしまいます。リスクをゼロにしようとすればするほど、AIは「毒にも薬にもならない」ツールへと劣化してしまうのです。
RAGとファインチューニングによる「味付け」の制御
では、実務においてこのジレンマをどう解消すべきでしょうか。鍵となるのは、基盤モデル(Foundation Model)の能力に依存しすぎず、RAG(検索拡張生成)やファインチューニングによって、自社独自の「文脈」や「正解」を注入することです。
RAGを活用すれば、汎用的なLLMに対して社内規定、過去のトラブル事例、専門技術文書などの「固有データ」を参照させることができます。これにより、一般的な正論ではなく、自社の実情に即した「少し癖のある(しかし的確な)」回答を引き出すことが可能になります。これは、AIに対して「一般的にはこうだが、我が社ではこのリコリスの味(独自の方針)を優先せよ」と指示するようなものです。
日本企業のAI活用への示唆
「リコリス問題」は、AIモデルの性能限界というよりも、それを活用する我々の「期待値」と「運用設計」の問題です。日本企業が今後AI活用を深化させるために、以下の3点を意識する必要があります。
- 用途による「尖り」の使い分け:すべてのAI活用領域に同一の安全基準を適用しないこと。顧客向けチャットボット(安全性重視)と、社内ブレインストーミング用ツール(多様性・意外性重視)では、許容されるリスクと出力の自由度を変える設計が必要です。
- 独自データによるコンテキストの強化:汎用モデルの「平均的な賢さ」だけでは競合優位性は生まれません。RAG等を活用し、日本の商習慣や自社固有のナレッジを組み込むことで、初めて実務に耐えうる「特化したAI」となります。
- 「人間参加型(Human-in-the-loop)」の再評価:AIが「リコリス(尖った案)」を出してきたとき、それを採用するか却下するかを判断するのは人間の役割です。AIに全自動の判断を委ねるのではなく、AIを「極端な案も出せる壁打ち相手」として位置づけ、最終的な責任と意思決定を人間が担うプロセスを構築することが、イノベーションとガバナンスを両立させる鍵となります。
