Microsoft AIのCEOであるムスタファ・スレイマン氏が、AIの新たな進化指標として「自律的に資金を運用し、利益を上げる能力」を提示しました。これは従来の「人間らしく会話できるか」という基準を超え、AIが実社会で経済的価値を生み出せるか、そして法的な枠組みの中で自律的に行動できるかを問うものです。本稿では、この発言が示唆する「AIエージェント」の時代と、日本企業が直面するガバナンスや実務課題について解説します。
「現代のチューリングテスト」としての利益創出能力
Microsoft AIのCEO、ムスタファ・スレイマン氏が投げかけた問いは、AI業界におけるフェーズの転換を象徴しています。「AIエージェントは、10万ドルの資金を渡されたとき、それを法的に適正な手段で100万ドルに増やすことができるか?」──このテストは、かつてアラン・チューリングが提唱した「人間と見分けがつかない会話ができるか」という知性の模倣に関するテストとは一線を画します。
ここでの核心は、単なる「知能の高さ」ではなく、「自律的な実行力(Agency)」と「経済的な成果(Outcome)」です。これまでの生成AIは、文章の要約やコード生成といった「支援」が主戦場でした。しかし、スレイマン氏の定義するAIエージェントは、目標を与えられれば、自ら計画を立案し、外部ツールを操作し、取引を行い、結果を出すまでのプロセスを完遂することを求められます。
チャットボットから「エージェント」への進化
この発言は、現在のAIトレンドである「AIエージェント(Agentic AI)」への注目を裏付けています。AIエージェントとは、LLM(大規模言語モデル)を頭脳として持ちつつ、Web検索、データベース操作、API経由でのシステム連携などを自律的に行い、複雑なタスクを解決するシステムを指します。
例えば、従来のAIであれば「マーケティングプランを書いて」という指示に対し、テキストで案を出力して終わりでした。対してAIエージェントは、市場調査を行い、広告を入稿し、A/Bテストの結果を見て予算配分を最適化するところまでを、人間の承認を挟みつつ自律的に行う可能性があります。スレイマン氏の「10万ドルを100万ドルにする」という例えは、まさにこうした複合的な意思決定と実行の連続によって価値を生み出す能力を指しているのです。
日本企業における「法的・倫理的」な壁
スレイマン氏の発言で特に重要なのが「Legally(法的に)」という条件です。これは日本企業にとって極めて重い意味を持ちます。
現在の日本の法制度において、AIは法人格を持たず、権利義務の主体にはなれません。AIが勝手に契約を結んだり、口座を開設したりすることは不可能です。したがって、AIが「自律的に稼ぐ」といっても、最終的な責任はそれを利用する人間や企業が負うことになります。金融商品取引法や景品表示法などの規制をAIが完全に理解し、遵守しながら利益を最大化できるか、というガバナンスの課題は技術的な課題以上に困難です。
また、日本の商習慣や組織文化において、AIによる「完全自動化された意思決定」を受け入れる土壌はまだ整っていません。稟議制度に代表される合意形成プロセスを重んじる日本企業では、AIがいかに合理的でも、ブラックボックス化したプロセスで利益を出した際の受容性は低いでしょう。
日本企業のAI活用への示唆
スレイマン氏の極端な例えをそのまま鵜呑みにする必要はありませんが、目指すべき方向性として以下の実務的な示唆が得られます。
1. 「対話」から「代行」へのシフトを見据える
今後のAI戦略では、単に社員の質問に答えるチャットボット(RAG)の導入にとどまらず、定型業務を自律的に遂行する「エージェント」の開発・導入を視野に入れるべきです。例えば、サプライチェーンにおける発注数量の自動調整や、ECサイトにおけるダイナミックプライシングの運用などが該当します。
2. ヒューマン・イン・ザ・ループ(Human-in-the-loop)の設計
日本企業においては、AIに全権を委ねるのではなく、重要な意思決定ポイント(支出、契約締結、外部への情報発信など)には必ず人間が介在するプロセス設計が不可欠です。AIは「起案者」であり、人間が「承認者」となるワークフローをシステムに組み込むことで、ガバナンスを効かせつつ自律化の恩恵を受けることができます。
3. 結果責任に対するガバナンス体制の整備
AIが予期せぬ損失を出したり、コンプライアンス違反を犯したりした場合の責任分界点を明確にする必要があります。「AIが勝手にやった」という弁明は通用しません。AIモデルのリスク管理(AI TRiSM)への投資と、運用ルールの策定が、技術導入とセットで進められるべきです。
スレイマン氏のテストは、AIが単なるツールから「ビジネスパートナー」へと進化する未来を示唆しています。日本企業としては、法規制と商習慣を守りながら、いかにこの新しいパートナーに権限を委譲し、共に価値を創出できるかが、次なる競争力の源泉となるでしょう。
