サイバー攻撃の高度化に伴い、企業のセキュリティ対策におけるAIの役割が「検知」から「対処」へと進化しつつあります。特に注目されるのが、脆弱性の修正などを自律的に行う「AIエージェント」の存在です。本記事では、グローバルなCISO(最高情報セキュリティ責任者)の関心事であるAIによる自律的な防御の可能性と、日本企業が導入する際に直面する「権限委譲」と「ガバナンス」の課題について解説します。
「検知するAI」から「行動するAI」へのシフト
これまでのサイバーセキュリティ領域におけるAI活用は、主にログ分析や異常検知といった「監視・発見」のフェーズに焦点が当てられてきました。大量のトラフィックから不正の兆候を見つけ出す能力において、AIはすでに人間を凌駕しています。しかし、2024年から2025年にかけての大きな潮流は、そこから一歩進んだ「行動するAI」、すなわち自律的なAIエージェントの活用にあります。
情報セキュリティ関連のメディアInformation Weekが報じるように、多くのCISO(最高情報セキュリティ責任者)は今、AIに対して単なるアドバイザー以上の役割を期待し始めています。具体的には、発見された脆弱性に対して自動的にパッチ(修正プログラム)を適用する「パッチング・ボット」のような存在です。攻撃側もAIを用いて攻撃を自動化・高速化している現在、防御側もまた、人間の承認を待っていては間に合わない局面が増えていることが背景にあります。
自律型エージェント導入に伴うリスクと信頼性
AIエージェントに「システム変更」の権限を与えることは、セキュリティ運用の効率を劇的に向上させる可能性があります。しかし、これには重大なリスクも伴います。AIが誤った判断で正常な通信を遮断したり、不適切なパッチを適用して基幹システムを停止させてしまったりする「可用性の侵害」のリスクです。
大規模言語モデル(LLM)を含む生成AI技術は、文脈理解やコード生成において優れた能力を発揮しますが、幻覚(ハルシネーション)のリスクを完全には排除できません。そのため、セキュリティベンダー各社は、AIが提案した対処策を人間が最終承認する「Human-in-the-loop(人間が介在する)」モデルを推奨してきましたが、脅威の速度に対抗するため、徐々に「Human-on-the-loop(人間は監視するが、基本は自動)」や完全自律型へとシフトする圧力が強まっています。
日本企業特有の課題:稟議文化とAIのスピード感
日本企業において、この「自律型AIエージェント」を導入する際の最大のハードルは、技術的な問題よりも、組織文化や意思決定プロセスにあると言えます。日本の多くの組織では、本番環境への変更に対して厳格な承認フローや稟議、変更管理プロセスが定められています。「AIが勝手に判断してサーバーの設定を変える」という挙動は、従来の日本のITガバナンスやコンプライアンス基準と相容れない場合が多々あります。
また、日本国内ではセキュリティ人材の不足が慢性的な課題となっており、本来であればAIによる自動化の恩恵を最も受けるべき環境にあります。しかし、AIの判断に対する責任の所在(誰が責任を取るのか)が不明確なままでは、現場の担当者は自動化機能のスイッチをオンにすることを躊躇せざるを得ません。
日本企業のAI活用への示唆
グローバルの動向と日本の実情を踏まえ、セキュリティ領域でのAI活用において、日本の意思決定者や実務者は以下の点を意識すべきです。
1. 「領域限定」での自律化から始める
いきなり基幹システムのパッチ適用をAIに任せるのではなく、まずは影響範囲の限定的な開発環境や、従業員のエンドポイント(PC端末)の一次対応など、リスク許容度の高い領域から自律型エージェント(または自動化スクリプト)を導入し、信頼実績を積み上げることが現実的です。
2. 「承認プロセス」の再設計
AIのスピードを殺さないためには、従来の人間による多段階承認を見直す必要があります。「AIが推奨度90%以上と判断した定型的なパッチ適用は、事後報告で可とする」といった、リスクベースでの新しい運用ルールの策定が求められます。これは情シス部門だけでなく、監査部門や経営層の理解が不可欠です。
3. ベンダー選定における「説明可能性」の重視
AIがなぜその対処を行ったのか、あるいは推奨したのかという「説明可能性(Explainability)」が担保されているソリューションを選ぶことが、日本企業のガバナンスには必須です。ブラックボックス化したAIの挙動は、万が一の障害時に説明責任を果たせないリスクとなります。
AIはセキュリティ人材不足を補う強力な武器となりますが、それを使いこなすためには、ツールを入れるだけでなく、組織の「運用ルール」と「意識」のアップデートが不可欠です。
