英国の投資メディアがChatGPTに対し、「ISA(非課税貯蓄口座)とSIPP(個人年金)のどちらに投資すべきか」という具体的な資産運用アドバイスを求めた事例は、生成AIの実務適用における期待とリスクの双方を浮き彫りにしています。本稿では、この事例を端緒に、金融や法務といった「正解の精度」が厳しく問われる規制産業において、日本企業がAIを活用する際に考慮すべき技術的アプローチとガバナンスについて解説します。
複雑な意思決定支援におけるAIのポテンシャル
元記事では、英国の投資家向け情報サイトが、2026年を見据えた2万ポンドの投資先として、ISA(Individual Savings Account:英国版NISAのような非課税口座)とSIPP(Self-Invested Personal Pension:自己投資型個人年金)のどちらが有利かをChatGPTに質問しています。これは単なる計算問題ではなく、個人の税制優遇措置、資金の流動性(いつ引き出せるか)、そして将来のライフプランを総合的に判断する必要がある複雑なタスクです。
生成AI(LLM)は、一般的な知識に基づき、両者のメリット・デメリットを整理して提示することに長けています。特に、大量のドキュメントから要点を抽出し、自然な対話形式で比較検討材料を提供する能力は、顧客対応の一次窓口や、専門家の業務支援ツールとして極めて高い有用性を持ちます。日本国内においても、銀行や証券会社が社内ナレッジ検索やコールセンター支援に生成AIを導入する動きが加速しており、業務効率化の観点ではすでに実績が出始めています。
「もっともらしさ」の罠とハルシネーションのリスク
しかし、金融アドバイスのような領域でAIを直接顧客に利用させる場合、最大のリスクとなるのが「ハルシネーション(事実に基づかないもっともらしい嘘)」です。LLMは確率的に「次に来る言葉」を予測しているに過ぎず、真実を理解しているわけではありません。
例えば、税制は毎年改正される可能性があります。「2026年のルール」について正確に回答するには、学習データに含まれていない最新の法改正情報を正確に参照する必要があります。もしAIが数年前の古い情報を基に「自信満々に」誤ったアドバイスを行い、それに基づき顧客が損失を被った場合、企業は重大なレピュテーションリスクと法的責任を負うことになります。特に日本の消費者はサービス品質への要求水準が高く、AIのミスに対する許容度が低い傾向にあるため、注意が必要です。
RAGとHuman-in-the-Loopによる信頼性の担保
この課題を解決するための技術的アプローチとして、日本企業の実装現場では現在「RAG(検索拡張生成)」が標準になりつつあります。これは、AIが回答を生成する際に、信頼できる外部データベース(最新の税制ガイドラインや社内規定など)を検索し、その情報を根拠として回答を作成させる技術です。
しかし、金融商品取引法などの規制が厳しい日本では、RAGを用いてもなお、AIによる完全自動アドバイス(ロボアドバイザーの領域を超える個別具体的な助言)には慎重であるべきです。AIの回答を最終的に人間が確認する「Human-in-the-Loop(人間参加型)」のプロセスを組み込むか、あくまで「参考情報の提供」に留め、最終判断は人間に委ねるという建付け(免責事項の明記など)が、コンプライアンス上不可欠となります。
日本企業のAI活用への示唆
今回の英国の事例を踏まえ、日本企業が意思決定支援や専門領域でAIを活用する際の要点は以下の通りです。
1. 「回答」ではなく「判断材料」の提供に徹する
専門性が高くリスクを伴う領域(金融、医療、法務など)では、AIに「答え」を出させるのではなく、人間が判断するための「比較情報の整理」や「論点の抽出」に特化させることが、現時点での安全かつ効果的な活用法です。
2. 最新情報への接続と出典の明示
学習済みモデルの知識だけに頼らず、RAG等を用いて常に最新の社内規定や法規制を参照させる仕組みが必要です。また、AIが回答を生成した際に「どの資料に基づいているか」という出典元(引用リンク)を明示させることで、ユーザー自身が裏取りをできるUI設計が信頼性を高めます。
3. ガバナンスと責任分界点の明確化
AIが誤った情報を出力した場合の責任の所在を明確にする必要があります。社内利用であれば業務プロセスの見直しで済みますが、対顧客サービス(B2C)の場合は、金融庁の監督指針や業界団体のガイドラインに照らし合わせ、AIの出力が「投資助言」に該当しないか等、法的な整理を事前に行うことが必須です。
生成AIは強力なツールですが、万能ではありません。「AIができること」と「法規制・商習慣として許容されること」のギャップを、技術(RAG等)と運用(人の介在)でどう埋めるかが、日本企業におけるAI導入成功の鍵となります。
