24 1月 2026, 土

「Physics AI」が拓くエンジニアリングの未来—宇宙工学から学ぶ、物理シミュレーションとAIの融合

生成AIやLLMがビジネス界を席巻する一方で、製造や研究開発の現場では「Physics AI(物理AI)」と呼ばれる新たな潮流が生まれています。従来の物理シミュレーションにAI技術を組み込むことで、計算コストの劇的な削減と設計プロセスの高速化を実現するこの技術は、日本の「ものづくり」にどのような変革をもたらすのでしょうか。宇宙工学の事例を起点に、その可能性と日本企業が押さえておくべき実務的視点を解説します。

物理法則を学習するAI:「Physics AI」とは何か

昨今のAIブームの中心は、テキストや画像を生成するモデルですが、エンジニアリング領域、特に宇宙航空や自動車、重工業の分野では「Physics AI(物理AI)」または「Physics-Informed AI(物理法則を考慮したAI)」への注目が高まっています。これは、単に過去のデータから統計的なパターンを学ぶだけでなく、流体力学や熱力学といった「物理法則(偏微分方程式など)」の制約を学習プロセスに組み込んだ、あるいは物理シミュレーションの結果をAIに代理学習させたモデルのことを指します。

従来の純粋なデータ駆動型AIは、未知の領域に対して物理的にあり得ない予測(=ハルシネーションのような現象)をするリスクがありました。しかし、物理法則を「教師」の一部として取り入れることで、データの少ない領域でも妥当性の高い予測が可能となり、信頼性が求められる工学分野での実用性が飛躍的に向上しています。

宇宙工学における活用事例:CFD(数値流体力学)の高速化

元記事で触れられている宇宙工学の事例は、まさにこの技術の最前線です。ロケットや宇宙機の設計において、空気の流れを計算するCFD(Computational Fluid Dynamics:数値流体力学)は不可欠ですが、高精度な計算にはスーパーコンピュータを用いても膨大な時間がかかります。

ここでAIの出番となります。高精度なシミュレーション結果を教師データとしてAIに学習させることで、「サロゲートモデル(代理モデル)」を作成します。これにより、従来は数日かかっていた複雑な空力特性の予測を、わずか数秒から数分で完了させることが可能になります。設計者は、AIによる高速な予測を用いて何百もの設計案をスクリーニングし、最終的な有望案だけを厳密な物理シミュレーションで検証するというプロセスを踏むことで、開発リードタイムを劇的に短縮できるのです。

日本の製造業・研究開発における可能性と課題

この技術動向は、自動車、素材、エネルギープラントなど、高度な「すり合わせ」技術を持つ日本の製造業にとって極めて重要です。例えば、EV(電気自動車)の空力設計による航続距離の延長、新素材開発における分子シミュレーションの高速化、あるいは工場のデジタルツイン上でのリアルタイムな異常予兆検知など、応用範囲は広大です。

一方で、日本企業が導入する際には特有の課題も存在します。日本の製造現場は「品質への妥協のなさ」が強みですが、AIによる予測はあくまで「近似値」であり、確率的な誤差を含みます。従来の実機試験や厳密なシミュレーションと、AIによる高速予測をどのように組み合わせ、品質保証(QA)のプロセスに落とし込むかという、エンジニアリング・チェーン全体の再設計が求められます。

また、人材面での課題もあります。Physics AIの活用には、データサイエンスの知識だけでなく、対象となるドメイン(流体、構造、材料など)の深い理解が不可欠です。AIエンジニアと現場のドメイン専門家が共通言語で対話できる組織体制が構築できているかが、成否を分ける鍵となります。

日本企業のAI活用への示唆

生成AIによる事務効率化が一巡しつつある今、日本企業は次のステップとして「コア事業(R&D・製造)へのAI適用」を本格化させるべき時期に来ています。Physics AIの活用に向けた実務的な要点は以下の通りです。

  • 「サロゲートモデル」としての活用から始める:
    いきなり最終製品の認証にAIを使うのではなく、初期設計段階のスクリーニングや、パラメータ探索の高速化ツールとして導入し、実績と信頼を積み上げることが現実的です。
  • 実験データとシミュレーションデータの資産化:
    日本企業には過去数十年にわたる高品質な実験データや設計データが眠っています。これらはPhysics AIを学習させるための独自の「資産」となります。データの整備・構造化(データガバナンス)は、AIモデルそのものより重要です。
  • 「匠」の知見とAIの融合:
    熟練技術者が持つ「物理的な直感」を、物理方程式という形(Physics-Informed)でAIに実装することで、技術伝承と自動化を同時に進めるアプローチが有効です。
  • リスク管理と説明責任:
    AIが導き出した設計解に対して、物理的な裏付け(Why)を説明できる体制を維持することが、製造物責任(PL法)やコンプライアンスの観点から不可欠です。ブラックボックス化を避け、検証可能なプロセスを設計してください。

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