生成AIの進化は、対話から「行動」へとフェーズを移行させつつあります。Visaなどの主要な決済プラットフォーマーが注目する「Agentic Commerce(AIエージェントによる商取引)」の概念と、それがもたらすビジネスモデルの変革、そして日本の商習慣や法規制の中で企業がどう向き合うべきかを解説します。
「対話」から「自律的な購買」へ
生成AIブームの初期、私たちはチャットボットに質問し、テキストやコードを受け取ることに驚きを感じていました。しかし現在、技術の焦点は「Agentic AI(自律型AIエージェント)」へと急速にシフトしています。これは、AIが単に情報を返すだけでなく、ユーザーの代理として外部ツールを操作し、タスクを完遂することを指します。
元記事にある「Agentic Commerce」という概念は、この技術を電子商取引(Eコマース)に応用したものです。ユーザーが「来週の京都出張の手配をしておいて」と指示するだけで、AIがフライトの空席状況を確認し、ホテルの比較を行い、最終的にVisaなどの決済ネットワークを通じて「購入・予約」までを自律的に完了させる世界観です。
決済インフラがAIエージェントに対応する意味
Visaのようなグローバルな決済企業がこの領域での成功事例や学習プロセスを発信している事実は、極めて重要な示唆を含んでいます。それは、これまでの「人間が画面を見てボタンを押す」というUI(ユーザーインターフェース)から、「AIがAPIを通じて決済ゲートウェイを叩く」というプロセスへの転換を見据えているからです。
技術的には、AIアシスタントがユーザーの曖昧なリクエストを解釈し、複数のサービスレイヤーを経由してトランザクションを実行する複雑な処理が必要となります。これには、高度な推論能力を持つLLM(大規模言語モデル)だけでなく、AIが他者のシステムと安全に連携するための標準化されたプロトコルや、AIによる操作であることを認証する「ID管理」の仕組みが不可欠です。
「B2C」から「B2A(Business to Agent)」へのパラダイムシフト
Agentic Commerceが普及すれば、企業のマーケティングや販売戦略は根本から変わる可能性があります。これまで企業は、人間の消費者の感情や認知に訴える広告やUX設計に注力してきました。しかし、購買の意思決定と実行の一部をAIエージェントが担うようになれば、企業は「AIに選ばれるためのロジック」を構築しなければなりません。
これを「B2A(Business to Agent)」と呼ぶ動きもあります。SEO(検索エンジン最適化)と同様に、自社の商品データやAPIをAIが読み取りやすく、かつ「合理的で最適な選択肢」として認識されるように整備する必要が出てくるのです。
日本企業における実装の課題とリスク
日本国内でこの技術を活用しようとする場合、いくつかの固有の課題に直面します。
第一に、レガシーシステムとAPIの不足です。Agentic Commerceはシステム間のスムーズな連携が前提ですが、日本の多くの小売・サービス業では、外部からの予約や決済をAPI経由で受け付ける体制がまだ不十分です。SaaSの導入やDXが進んでいる企業でも、AIエージェントが自由に操作できるインターフェースを持っているケースは稀です。
第二に、法規制と責任の所在です。AIが誤って高額な商品を購入した場合や、意図しない契約を結んでしまった場合、その法的責任はユーザーにあるのか、AIベンダーにあるのか、あるいはサービス提供者にあるのか。日本の民法や電子消費者契約法は、AIが自律的に契約主体となることを完全には想定しきれていません。ガバナンスの観点からは、AIの行動範囲に厳格な「ガードレール(制約条件)」を設けることが不可欠です。
第三に、「おもてなし」と効率化のバランスです。日本の商習慣では、きめ細やかな対応や文脈を汲み取ったサービスが重視されます。AIエージェントによる機械的な購買プロセスが、日本の消費者にどこまで受け入れられるか、あるいは逆に、労働力不足を補う救世主として急速に浸透するか、慎重な見極めが必要です。
日本企業のAI活用への示唆
グローバルのAgentic Commerceの潮流を踏まえ、日本の経営者や実務担当者は以下の点に着目して戦略を練るべきです。
- 自社サービスのAPI化(Machine Readabilityの向上):
人間向けのWebサイトやアプリの改善だけでなく、将来的にAIエージェントが自社商品・サービスを検索・購入できるように、APIの整備や構造化データの提供を進めること。これは中長期的な競争力に直結します。 - ガバナンスと認証基盤の強化:
AIによる自動操作を許容する場合、それが正当な権限を持ったエージェントであるかを検証するセキュリティ基盤が必要です。ゼロトラストの考え方に基づき、不正なボットと正規のAIエージェントを識別する仕組みを検討してください。 - 「人間が承認する」プロセスのデザイン:
完全自動化を目指すのではなく、決済の最終段階や重要な意思決定のタイミングで、必ず人間(ユーザー)に確認を求める「Human-in-the-loop」の設計を徹底すること。これが日本市場における信頼獲得とリスク管理の鍵となります。 - ニッチな領域からの実証実験:
いきなり全社的な購買プロセスをAI化するのではなく、社内の備品発注や出張手配など、リスクが限定的でルールの明確なB2B領域、あるいは特定のエンタメ・サービス領域から「エージェント活用」の知見を蓄積することが推奨されます。
