宗教界において、説教(ホミリー)の作成にChatGPTを使用することに対し、その「真正性」の欠如を理由に警鐘が鳴らされています。この議論は決して宗教の世界だけのものではなく、顧客との信頼関係や組織の求心力を重視する日本企業にとっても、極めて重要な示唆を含んでいます。AIによる効率化と、人間ならではの「文脈」や「想い」をどう両立させるべきか、実務的な視点で解説します。
「言葉の自動化」が招く信頼の欠如
最近、海外のニュースメディアにおいて、聖職者が説教(ホミリー)の原稿作成にChatGPTなどの生成AIを使用することに対し、宗教的指導層から強い懸念が示されていると報じられました。その核心的な主張は、「AIは真正な信仰や人間の経験を代替できない」という点にあります。
このニュースは、一見すると宗教特有のエピソードに見えますが、実は現代のビジネスが直面している本質的な課題を浮き彫りにしています。それは、「形式的に正しい文章」と「書き手の意思や魂が込められた文章」の決定的な違いです。
大規模言語モデル(LLM)は、確率的に「次に来るもっともらしい言葉」を紡ぎ出すことに長けています。しかし、そこには実体験に基づく痛みや喜び、そして言葉に対する責任(アカウンタビリティ)は存在しません。宗教的な説教が人々の心を打つのは、語り手の生き様や信仰心が言葉に乗っているからであり、ビジネスにおけるリーダーのメッセージもまた、その背後にある覚悟が読み手に伝わって初めて機能します。
日本企業における「効率化」と「儀礼」のジレンマ
日本には「言霊(ことだま)」という概念があるように、発せられる言葉そのものに力が宿ると考える文化があります。また、ビジネスシーンにおいても、文脈を読み取る「ハイコンテキスト」なコミュニケーションが求められます。
ここで問題となるのが、AI活用の適用範囲です。例えば、定型的なメール対応、議事録の要約、プログラミングコードの生成といったタスクにおいて、生成AIは圧倒的な業務効率化をもたらします。これらは「正解」や「形式」が重視される領域だからです。
一方で、謝罪、感謝、ビジョンの共有、人事評価のフィードバックといった「感情」や「信頼」が主成分となるコミュニケーションにおいて、AIを安易に使用することは高リスクです。整いすぎたAIの文章は、時として「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」と受け取られ、相手に「自分は自動化された処理の対象なのか」という不信感を抱かせる可能性があります。
「Human-in-the-Loop」の本質的意味
だからといって、あらゆるクリエイティブな作業からAIを排除すべきというわけではありません。重要なのは、AIを「代弁者(Author)」にするのではなく、「思考の壁打ち相手(Co-pilot)」として位置づけることです。
例えば、伝えたいメッセージの骨子を箇条書きにし、AIに構成案を出させる。あるいは、自分が書いた文章の論理的矛盾を指摘させる。このように、プロセスの途中(Loop)に人間が介在し、最終的なアウトプットの責任と「体温」を人間が付与することが、AIガバナンスの観点からも重要です。
特に日本の組織では、稟議書や報告書などの「形式」を整えることに多くの時間を割きがちです。こうした「形式」の部分はAIに任せ、空いた時間で「中身(インサイトや意思決定)」を磨くことこそが、本来目指すべきDX(デジタルトランスフォーメーション)の姿と言えるでしょう。
日本企業のAI活用への示唆
今回の宗教界の事例をビジネスに置き換え、日本の意思決定者や実務担当者が意識すべきポイントを整理します。
1. 「聖域」と「活用域」の明確な線引き
すべての業務を一律に効率化するのではなく、AIに任せてはいけない「聖域」を定義してください。企業のクレド(信条)、危機管理広報(謝罪)、従業員のキャリアに関わる対話などは、人間が直接言葉を紡ぐべき領域です。逆に、マニュアル作成やデータ整理などは積極的にAIに任せるべきです。
2. プロセスとしてのAI活用(Human-in-the-Loopの徹底)
「AIで作ったものをそのまま出す」ことを原則禁止とするガイドラインが有効です。AIはあくまでドラフト(下書き)作成ツールであり、最終的な加筆・修正・事実確認(ファクトチェック)を人間が行うことを業務フローに組み込んでください。これにより、ハルシネーション(もっともらしい嘘)のリスクも低減できます。
3. AIリテラシー教育の再定義
プロンプトエンジニアリング(指示出しの技術)だけでなく、「AIが出力した無機質なテキストに、いかにして自社の文脈や人間味を加えるか」という編集能力の教育が必要です。これからの時代は、AIを使いこなす技術以上に、AIには出せない「人間固有の価値」を見極める力が求められます。
