シアトル大学ロースクールが発表した南アジア関連の法的課題に関心を持つ学生向けの新たな奨学金制度。ここで登場する「LLM」は、AI業界で常識となった「大規模言語モデル」ではなく、本来の「法学修士」を指します。本記事では、この用語の重複を単なる偶然として片付けず、AI開発・活用において今まさに急務となっている「法務(Legal)」と「技術(Tech)」の融合、そしてグローバルなリスク対応の視点から読み解きます。
「二つのLLM」:法学修士と大規模言語モデル
先日、シアトル大学ロースクールが「Mehta Wahi Scholarship」という新たな奨学金制度を発表しました。これは南アジアの法的・社会的・政策的課題に関心を持つ「LLM」学生を支援するものです。AIエンジニアや実務者にとって「LLM」といえばLarge Language Model(大規模言語モデル)ですが、法曹界においてLLMはLegum Magister、すなわち法学修士号を指します。
一見、AI技術とは無関係なニュースに見えますが、この「頭字語の衝突」は、現代のAIビジネスが直面している課題を象徴しています。生成AIの急速な普及に伴い、技術(AIとしてのLLM)と法律(法学としてのLLM)の境界線はかつてないほど曖昧になり、相互理解が不可欠になっているのです。
AI開発・活用における「法務」のプレゼンス増大
かつてAIプロジェクトといえば、データサイエンティストやエンジニアが主役でした。しかし、生成AIの実装フェーズにおいては、知的財産権(著作権)、プライバシー保護、公平性、そして説明責任といった法的・倫理的課題が技術的な課題と同じ重みを持つようになっています。
欧州の「AI法(EU AI Act)」をはじめ、世界各国でAI規制の議論が進む中、日本企業においても「技術的には可能だが、法的に(あるいは倫理的に)許容されるか」という判断がボトルネックになるケースが増えています。ここで求められるのが、技術の仕組みを理解した法務人材、あるいは法規制のリスクを理解したエンジニアの存在です。
グローバルサウスとAIサプライチェーンのリスク
今回の奨学金が「南アジア」に焦点を当てている点も、AI実務者として見逃せないポイントです。AI開発において、データラベリングやRLHF(人間によるフィードバックを用いた強化学習)のプロセスは、しばしばグローバルサウスの国々に委託されています。
AIのサプライチェーンがグローバル化する中で、現地の労働環境や法規制、文化的背景を理解することは、倫理的なAI開発(Responsible AI)の観点から企業のリスク管理(デューデリジェンス)の一環となります。単にコストセンターとして海外を見るのではなく、現地の法的・社会的文脈を理解する専門家の視点を取り入れることは、予期せぬ炎上リスクやコンプライアンス違反を防ぐために重要です。
日本企業が直面する「見えない壁」
日本の組織文化において、法務部門と開発部門(R&DやDX推進部)の間には、依然として「見えない壁」が存在することが少なくありません。開発側は「法務はブレーキばかり踏む」と感じ、法務側は「開発側はリスクを軽視している」と警戒する構図です。
しかし、生成AIのような進化の速い技術を扱う場合、従来の「完成してから法務確認」というウォーターフォール型の進め方では手遅れになります。経済産業省などが提唱する「アジャイル・ガバナンス」のように、開発の初期段階から法務・コンプライアンス担当者がチームに入り、走りながらガードレールを設計していく体制が求められます。
日本企業のAI活用への示唆
今回のロースクールのニュースを契機に、日本企業が意識すべきポイントを整理します。
- リエゾン人材の育成・配置:エンジニアと法務の間で翻訳ができる人材(リーガルエンジニアや、AIリテラシーのある法務担当者)を育成、または外部専門家として登用すること。
- 開発プロセスの見直し:「法務確認」を最終工程にするのではなく、企画・PoC(概念実証)段階から法務的視点を巻き込むプロセスへ移行すること。これにより、手戻りを防ぎ、リリースまでの時間を短縮できます。
- グローバル視点の保持:国内法(著作権法第30条の4など)だけで判断せず、サービスが展開される可能性のある地域や、学習データのソースとなる地域の法規制・倫理観も考慮に入れること。
「LLM」という言葉が飛び交う会議室で、それが技術を指すのか、それを統制する法を指すのか。その両方の視点を行き来できる組織こそが、AI時代において持続可能な競争力を発揮できると言えるでしょう。
