大規模言語モデル(LLM)は流暢なテキスト生成を実現しましたが、正確な計算や最新の事実に基づく論理推論には依然として課題があります。数式処理の世界的権威であるWolfram Researchが、LLMに「計算能力」と「確定的な知識」を付与する「Foundation Tool」の概念を打ち出しています。本記事では、従来のRAG(検索拡張生成)とは異なるアプローチであるCAG(計算拡張生成)の重要性と、正確性が求められる日本企業の業務における実装のポイントを解説します。
LLMの限界:確率的な言語生成と確定的な計算の乖離
生成AIの導入が進む中、多くの日本企業が直面している壁の一つが「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」です。LLMは本質的に「次にくる単語の確率」を予測する仕組みであり、論理的な計算やデータベースの照会を行っているわけではありません。そのため、詩を書くことは得意でも、「特定の条件に基づくローン金利の計算」や「物理法則に基づくシミュレーション」を行うと、自信満々に誤った数値を返すリスクがあります。
この課題に対し、数式処理システムMathematicaや検索エンジンWolfram|Alphaで知られるWolfram Researchは、LLMに正確な計算能力と知識を注入するアプローチを強化しています。これが、LLM単体では不可能な「正解のあるタスク」を処理するための重要な鍵となります。
RAG(検索拡張生成)とCAG(計算拡張生成)の違い
現在、企業内AIの主流は、社内ドキュメントを検索して回答を生成するRAG(Retrieval-Augmented Generation)です。しかし、Wolframが提唱する方向性は、これに加えCAG(Computation-Augmented Generation:計算拡張生成)と呼べるものです。
RAGが「既存の文書を探してくる」のに対し、CAGは「その場で計算して答えを導き出す」アプローチです。例えば、「現在の円ドル相場に基づき、輸入部材のコスト変動を予測する」といったタスクの場合、過去の文書を検索しても正解はありません。最新の市場データを取得し、数式に基づいて計算を行う必要があります。Wolframの技術を「Foundation Tool(基盤ツール)」としてLLMに接続することで、言語モデルは自然言語のインターフェースとして機能し、裏側の処理は信頼性の高い計算エンジンが担当するという役割分担が可能になります。
日本企業における活用領域:製造、金融、研究開発
日本の産業構造、特に製造業(モノづくり)や金融業界において、この「計算能力の統合」は極めて重要です。
例えば、製造業の設計部門において、過去の技術文書を検索するだけでなく、材料力学の公式に基づいたパラメータの最適値をAIに対話形式で算出させることが可能になります。また、金融機関においては、複雑なデリバティブ商品のリスク計算や、最新の経済指標に基づいたポートフォリオのシミュレーションを、自然言語で指示しつつ、計算過程はブラックボックス化せずに正確に実行させるといった活用が考えられます。
「空気を読む」ことよりも「正確に遂行する」ことが求められる日本の商習慣において、CAGのアプローチはAIの業務適用範囲を大きく広げる可能性があります。
実装上の課題とリスク:ガバナンスと依存性
一方で、こうした外部ツール統合にはリスクも伴います。第一にデータプライバシーです。外部の計算エンジン(Wolfram等のAPI)に社内の機密数値を送信する場合、情報漏洩のリスク管理が必要不可欠です。金融や医療など規制の厳しい業界では、オンプレミス環境やプライベートクラウド内で計算エンジンを完結させる構成が求められるでしょう。
第二に、レイテンシ(応答遅延)の問題です。LLMが外部ツールを呼び出し、計算結果を待ち、それを再び言語化するプロセスは、通常のチャットボットよりも時間を要します。即時性が求められる顧客対応などでは、ユーザー体験を損なわない設計が必要です。
日本企業のAI活用への示唆
今回のWolframの動向は、LLM活用のフェーズが「チャットボット」から「エージェント(道具を使うAI)」へと移行していることを示しています。日本の意思決定者およびエンジニアは以下の点を考慮すべきです。
- 「検索」と「計算」の使い分け: 業務課題が「情報の探索(RAG向き)」なのか「論理・計算処理(CAG向き)」なのかを明確に定義し、適切なアーキテクチャを選択すること。
- 検証可能性(Verifiability)の確保: AIが出力した数値が、どの計算式やデータに基づいているかをトレーサビリティを持って確認できる仕組みを導入すること。これは品質管理に厳しい日本企業にとって必須要件です。
- ツール利用のガバナンス: AIが勝手に外部APIを叩くことによるコスト増大やセキュリティリスクを防ぐため、AIがアクセスできるツールとデータの範囲を厳格に制御する権限管理の実装が必要です。
AIを単なる「文章作成アシスタント」に留めず、実務的な「計算・分析パートナー」へと昇華させるために、外部ツールとの統合戦略が今後の競争優位の源泉となるでしょう。
