Anthropic社がDeepSeekなどの中国AIベンダーに対し、Claudeからのデータ抽出(蒸留)を行ったとして告発しました。この事案は単なる企業間の争いにとどまらず、AIモデルの開発手法や権利関係、さらには日本企業がAIを選定・利用する際のガバナンスに重大な問いを投げかけています。
Anthropicによる告発の背景と「モデル蒸留」の実態
米国のAI企業Anthropicが、DeepSeek、Moonshot、MiniMaxといった中国の主要なAI研究所に対し、自社のAIモデル「Claude」の能力を抽出するために大規模なデータスクレイピングを行っていると告発しました。報道によれば、約24,000もの偽アカウントが使用され、Claudeに対して大量のプロンプトを投げかけ、その回答を自社モデルの学習データとして収集していたとされています。
この手法は専門用語で「知識の蒸留(Knowledge Distillation)」と呼ばれます。高性能な「教師モデル(この場合はClaude)」の出力を、パラメータ数の少ない、あるいは開発途上の「生徒モデル」に学習させることで、効率的に性能を引き上げる手法です。米国による対中半導体輸出規制により、中国企業が高性能GPUを入手しづらい状況下において、計算リソースを節約しながらモデル性能を高めるための「近道」として、この蒸留手法への依存が高まっているという背景があります。
利用規約違反とAI開発の倫理的境界線
技術的に「蒸留」は有効な手法ですが、ビジネスおよび法的な観点では大きな問題を孕んでいます。AnthropicやOpenAIを含む多くの商用LLMプロバイダーは、利用規約(ToS)において「競合するモデルの開発を目的とした出力の利用」を明確に禁止しています。今回の告発は、組織的にこの規約を回避しようとした点に焦点が当てられています。
日本国内のエンジニアや研究者にとっても、これは対岸の火事ではありません。業務効率化や特定ドメイン向けのLLM開発において、GPT-4やClaudeの出力を使ってオープンソースモデル(Llama等)をファインチューニングする事例が見られますが、商用利用の可否やライセンス条項を厳密に確認しないまま進めれば、将来的に権利侵害のリスクを抱えることになります。
「AIサプライチェーン」におけるリスク管理
日本企業がこのニュースから読み取るべきは、自社が採用するAIモデルの「素性」に関するリスク管理の重要性です。近年、安価で高性能な海外製モデルが多数登場していますが、もしそれらが他社の知的財産を不正に利用して構築されたものであった場合、それを利用するユーザー企業も間接的に法的紛争やレピュテーションリスクに巻き込まれる可能性があります。
特に金融や製造業など、コンプライアンスが重視される業界においては、「性能が良いから」「安いから」という理由だけで採用モデルを決めるのは危険です。そのモデルがどのようなデータセットで学習され、開発プロセスにおいて他社の権利を侵害していないかという、いわば「AIのトレーサビリティ」を確認することが、新たな調達基準として求められつつあります。
日本企業のAI活用への示唆
今回の事案を踏まえ、日本企業の意思決定者や実務担当者は以下の点に留意してAI活用を進めるべきです。
- 開発プロセスの透明性確認: 外部のAIモデルやAPIを採用する際、ベンダー選定のチェックリストに「学習データの権利処理」や「開発プロセスの透明性」を含める。特に新興ベンダーのモデルを利用する場合は、法務部門と連携し、知的財産権のリスク評価を行うことが望ましいです。
- 社内開発における規約遵守の徹底: 自社でLLMのファインチューニングやRAG(検索拡張生成)システムを構築する場合、教師データとして利用する他社モデルの出力が、利用規約上問題ないかを確認する。エンジニア任せにせず、組織的なガイドラインを策定する必要があります。
- セキュリティ対策の強化: 逆に、自社で構築したAIサービスが外部からスクレイピングされ、データを「蒸留」されるリスクも想定する必要があります。APIのレート制限、異常なアクセスパターンの検知、利用規約への禁止事項の明記など、防御側の対策も同時に進めることが重要です。
