英国で拡散された「AIによる架空の都市荒廃動画」は、生成AI技術が社会的なナラティブ(物語)を容易に操作できる段階に入ったことを示唆しています。この現象は対岸の火事ではありません。日本企業にとっても、ブランド毀損や偽情報の拡散という新たなリスクに対するガバナンスと、AI生成コンテンツへの向き合い方が問われる重大な転換点と言えます。
精巧化する生成AI動画と「現実の歪曲」
英国で話題となっている事例があります。AIによって生成された、荒廃した英国の都市や、ステレオタイプを強調された若者の集団が映し出される動画がソーシャルメディア上で拡散されました。これらは実際には存在しない光景ですが、AI生成技術の向上により、一見しただけでは真偽の区別がつかないレベルに達しています。
これまで「ディープフェイク」といえば、著名人の顔をすり替えるといった個人の肖像権侵害や詐欺が主な懸念事項でした。しかし、今回の事例が示唆するのは、AIが「特定の地域の治安が悪化している」「ある社会集団が脅威である」といった、より抽象的で社会的な「空気感」や「偽の現実」を作り出すために使われ始めているという事実です。
Text-to-Video(テキストから動画を生成する)技術の急速な進化により、高度な映像編集スキルを持たない個人でも、説得力のある「偽の証拠映像」を量産できるようになりました。これは、企業の広報やリスク管理担当者にとって、極めて重い課題を突きつけています。
日本企業が直面する「ブランド・セキュリティ」のリスク
日本国内においても、生成AIの業務利用が進む一方で、リスク管理の議論は著作権や情報漏洩に偏りがちです。しかし、英国の事例をビジネス文脈に置き換えると、以下のようなリスクが想定されます。
- 工場の事故や製品欠陥の捏造: 実際には起きていない工場の爆発事故や、製品が発火する映像が生成され、SNSで拡散されることで株価やブランドイメージが毀損される。
- 経営層のフェイク発言: CEOが不適切な発言をしている音声や動画が生成され、炎上を引き起こす(いわゆるCEO詐欺の進化版)。
- 広告配信面の汚染: 自社のデジタル広告が、AIによって生成された不適切なコンテンツやフェイクニュースの隣に表示され、ブランド毀損(ブランドセーフティの低下)を招く。
特に日本では、SNSでの「炎上」が企業活動に与える影響が大きく、真偽が不明な段階でも拡散されやすい傾向があります。AIによる偽情報は、この「炎上」の燃料として機能しやすく、企業は「事実無根である」ことを迅速かつ技術的な根拠を持って証明する必要に迫られます。
真正性の証明:OP技術とC2PA
こうしたリスクに対抗するため、技術的なアプローチとして注目されているのが「コンテンツの来歴証明」です。国際的には「C2PA」という標準規格があり、コンテンツがいつ、誰によって、どのツールで作られたかをメタデータとして埋め込む取り組みが進んでいます。
日本国内でも、慶應義塾大学などが中心となり「Originator Profile(OP)」技術の実証実験が進められています。これは、ウェブ上のコンテンツの発信者が真正であることを証明する仕組みです。これからの企業ウェブサイトやプレスリリース、公式SNS発信においては、「公式サイトに載っているから正しい」だけでなく、技術的に「改ざんされていない真正なデータである」ことを証明する手段の実装が、信頼獲得の要件となっていくでしょう。
日本企業のAI活用への示唆
AIによる「偽の現実」の拡散は、もはや防ぎようのない技術的潮流です。日本企業は、AIを業務効率化に使う「攻め」の姿勢と同時に、AIによって作られた外部からの攻撃に備える「守り」の体制を強化する必要があります。
- クライシスマネジメント規定の更新: 従来のSNS炎上対策に加え、「AIによるフェイク動画・音声」が拡散された場合の初動対応(技術的な真偽判定の依頼先確保、法的措置の準備など)をマニュアル化する。
- 発信情報の「真正性」確保: 自社が発信する公式情報に対し、電子透かしや電子署名技術の導入を検討し、第三者が検証可能な状態にする。これは、顧客や取引先に対する「信頼(トラスト)」の担保となります。
- 従業員のリテラシー教育: 外部の情報を鵜呑みにしないメディアリテラシー教育に加え、従業員自身が面白半分で生成したAI画像が、意図せず差別や誤解を生み、企業のレピュテーションリスクになる可能性を周知徹底する。
- 「AI検出」への過度な期待を捨てる: AI生成物を100%見抜く検出ツールは存在しません。イタチごっこになることを前提に、「見抜く」ことよりも「信頼できる経路を構築する」ことにリソースを割くべきです。
