MITの研究チームが発表した「EnCompass」は、AIエージェントが試行錯誤と後戻り(バックトラック)を行いながら最適解を探索するシステムです。単なる確率的なテキスト生成を超え、論理的な正確性が求められる実務において、この「推論時の探索」というアプローチがなぜ重要なのか、日本企業の導入視点を交えて解説します。
単方向の生成から「思考する」プロセスへ
生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)はこれまで、確率に基づいて「次の単語」を予測し続けることで文章を生成してきました。しかし、この仕組みには致命的な弱点があります。一度誤った推論の方向へ進んでしまうと、それを修正できずに誤った結論(ハルシネーションなど)に至るケースが多いことです。
MITのニュースで取り上げられた「EnCompass」というシステムは、この課題に対して「バックトラック(後戻り)」と「探索」というアプローチで解決を試みています。これは、AIエージェントがタスクを実行する際、複数の手順を試行し、結果が芳しくなければ前のステップに戻って別のアプローチを試すというものです。人間が複雑な問題を解く際に、「あ、この考え方は間違っていたな」と気付き、思考を修正するプロセスに近いと言えます。
なぜ「探索」が実務適用の鍵となるのか
現在、OpenAIの「o1」シリーズなどを筆頭に、推論時計算(Inference-time compute)を増やして精度を高める手法がトレンドとなっています。EnCompassもこの文脈に位置づけられます。
日本のビジネス現場において、AI導入の壁となるのは「精度の不安定さ」です。クリエイティブな用途であれば多少の飛躍も許容されますが、金融機関の審査補助や製造業の工程設計、あるいは法務文書のチェックなど、論理的整合性が絶対視される領域では、一度の生成で正解を出そうとする従来のLLMのアプローチはリスクが高すぎました。
「探索」と「バックトラック」の機能を持つエージェントは、内部で複数のシナリオをシミュレーションし、最も確度の高いルートを選んでからユーザーに回答を提示します。これにより、複雑なマルチステップのタスク(例:Webで情報を収集し、Excelを分析し、メールの下書きを作成する)における成功率が飛躍的に向上する可能性があります。
コストとレイテンシのトレードオフ
一方で、意思決定者が理解しておくべきリスクやコストもあります。AIが「考え、悩み、やり直す」ということは、それだけ計算リソース(GPU)を消費し、回答までの待ち時間(レイテンシ)が増加することを意味します。
即時性が求められるチャットボット(例:カスタマーサポートの一次対応)には不向きかもしれません。しかし、人間が数時間かけて行う調査業務や、夜間バッチで処理するようなデータ分析業務においては、多少時間がかかっても「やり直し」を行いながら高品質なアウトプットを出すAIの方が、トータルの生産性は高くなります。
日本企業のAI活用への示唆
今回のMITの研究や昨今のAIエージェントの進化を踏まえ、日本企業は以下の点に着目して戦略を練るべきです。
1. プロンプトエンジニアリングから「システム設計」への移行
単に良いプロンプトを書くだけではなく、AIに「どのように考えさせるか」「どの段階で評価・修正させるか」というワークフロー全体の設計(エージェント設計)が重要になります。開発チームや導入担当者は、AIを単なる関数としてではなく、業務プロセスを遂行する「半自律的な作業者」として設計する視点が求められます。
2. 業務の性質によるモデルの使い分け
全ての業務に「熟考するAI」が必要なわけではありません。即答性が重要な業務には軽量なモデルを、正確性が最優先される業務にはEnCompassのような探索・検証機能を持ったエージェントシステムを適用するなど、適材適所の判断がコスト対効果を左右します。
3. 「間違いを修正する」プロセスを前提としたガバナンス
AIがバックトラック機能を持ったとしても、最終的な責任は人間が負います。特に日本の商習慣では、ミスの説明責任が問われます。AIが「なぜその結論に至ったのか」という思考の軌跡(探索のログ)を可視化・保存できる仕組みを導入段階で検討しておくことは、コンプライアンスや監査の観点から非常に重要です。
