医療分野におけるChatGPTを用いた同意書作成の事例は、生成AIが高度な専門性を要する文書作成においても「下書き」として強力なツールになり得ることを示しています。しかし同時に、専門家による厳格な監督(Human-in-the-Loop)が不可欠であるという事実は、日本企業が法務・コンプライアンス関連業務へAIを導入する際の重要な指針となります。
医療現場における生成AI活用の実証実験
米国Medscapeの記事によると、皮膚科領域において、特定の治療(エネルギーベースのデバイスを使用した処置)に関する患者への説明同意書をChatGPTに作成させるという試みが行われました。その結果、AIは適切な文書を作成するポテンシャルを示したものの、専門医による徹底的なレビューと編集が不可欠であると結論付けられています。
この事例は、生成AIの活用において非常に重要な示唆を含んでいます。医療同意書は、処置のリスク、副作用、代替案などを患者に正確に伝え、法的な同意を得るための極めて重要な文書です。ここに誤情報(ハルシネーション)が含まれれば、患者の不利益に直結し、医療訴訟のリスクも高まります。それでもなお「活用の余地がある」と評価されたのは、ゼロから文書を作成する労力を大幅に削減できるというメリットがリスク管理コストを上回る可能性があるからです。
日本企業における「専門文書」自動化への適用
この事例は、医療に限らず、日本のビジネス現場における契約書、利用規約、社内規定、仕様書といった「専門性が高く、誤りが許されない文書」の作成にもそのまま当てはまります。
日本の商習慣では、文書の正確性と「てにをは」のニュアンスが非常に重視されます。また、法律用語や業界固有の言い回しは独特であり、汎用的なLLM(大規模言語モデル)をそのまま適用すると、違和感のある日本語や、日本の法制度(民法や業法など)にそぐわない内容が出力されるリスクがあります。
しかし、だからといって「使えない」と判断するのは早計です。AIを「完パケ(完成品)」を作るツールではなく、「8割の完成度のたたき台(ドラフト)」を作るアシスタントとして位置づけることで、業務効率は劇的に向上します。特に、慢性的な人手不足に悩む日本企業において、ベテラン社員が時間をかけていた文書作成の初動をAIに任せ、人間は「確認・修正・承認」という高度な判断業務に集中するシフトチェンジは、生産性向上の鍵となります。
「Human-in-the-Loop」とガバナンスの構築
記事中で強調されている「Oversight(監督・監視)」は、AI用語で言うところの「Human-in-the-Loop(人間がループの中に介在すること)」の徹底を意味します。日本企業がこのアプローチを採用する場合、以下の2点がガバナンス上の重要課題となります。
第一に、データの取り扱いです。同意書や契約書の作成において、顧客の個人情報や企業の機密情報をプロンプト(指示文)に入力することは、個人情報保護法や秘密保持契約(NDA)の観点から慎重になる必要があります。エンタープライズ版の契約や、学習データに利用されない設定(オプトアウト)を確認し、場合によってはマスキング処理を行うなどの運用ルール策定が必須です。
第二に、責任の所在の明確化です。「AIが作ったから」という言い訳は、ビジネスでは通用しません。最終成果物に対する責任は常に人間(承認者)にあることを組織文化として定着させる必要があります。AIが出力した内容のファクトチェック(事実確認)プロセスを業務フローに組み込むことが、AI活用の大前提となります。
日本企業のAI活用への示唆
今回の医療同意書の事例を踏まえ、日本の意思決定者や実務担当者は以下のポイントを念頭にAI導入を進めるべきです。
- 「ドラフト作成」への特化:AIに完成品を求めず、専門家がレビューすることを前提とした「下書き作成」ツールとして業務フローに組み込む。これにより、ゼロから書く精神的・時間的コストを削減する。
- ドメイン知識の注入(RAG等の活用):一般的なChatGPTだけでなく、自社の過去の契約書や規定集、業界のガイドラインなどを参照データとして読み込ませるRAG(検索拡張生成)の仕組みを検討し、日本の商習慣や自社ルールに沿った出力を促す。
- 専門家の役割の再定義:ベテラン社員や専門家の役割を「作成者」から「編集長(Editor-in-Chief)」へと再定義し、AIの出力を批判的にチェックするスキルを評価対象とする。
- 法的リスクへの感度:生成された文書が日本の最新の法令に準拠しているか、常に人間が最終確認を行うプロセス(Human-in-the-Loop)をガバナンスとして確立する。
