生成AIの活用は、単なるチャットボットから、自律的にタスクを遂行する「AIエージェント」へと進化しています。しかし、その実用化フェーズにおいて、多くのプロジェクトが「評価(Evaluation)」の壁に直面しています。本稿では、AIエージェント開発におけるテストコストの構造的課題と、品質を重視する日本企業が採るべき現実的なアプローチについて解説します。
AIエージェントへの進化と「確率的」な難しさ
現在、多くの企業がRAG(検索拡張生成)や社内ナレッジ検索の構築を一通り終え、次のステップとして「AIエージェント」の開発に着手しています。AIエージェントとは、単に質問に答えるだけでなく、APIを介して社内システムを操作したり、Webブラウジングを行ったり、複数のステップを自律的に判断して実行するシステムを指します。
しかし、ここで従来のソフトウェア開発とは異なる大きな課題が浮上します。従来のプログラムは「入力Aに対して常に出力Bを返す」という決定論的な挙動を示しますが、LLM(大規模言語モデル)を核とするエージェントは「確率的」に動作します。同じ指示でも、モデルのバージョン、プロンプトの微細な違い、あるいは文脈によって挙動が変わる可能性があります。
なぜエージェントのテストコストは跳ね上がるのか
OODAloopなどの海外の技術レポートでも指摘されている通り、AIエージェントのテストコストは、従来のソフトウェアテストに比べて数倍から数十倍に膨れ上がる傾向があります。これには大きく2つの理由があります。
第一に、「LLM as a Judge(裁判官としてのLLM)」のコストです。エージェントの出力品質(回答の正確さ、関連性、安全性など)を人間が全てチェックするのは現実的ではありません。そこで、より高性能なモデル(GPT-4クラスなど)を使って、エージェントの回答を自動評価させる手法が一般的です。これは効率的ですが、評価を実行するたびに高額なトークンコストが発生します。開発中の試行錯誤(トライアンドエラー)の回数分だけ、この「見えないコスト」が積み重なります。
第二に、シナリオの複雑性です。エージェントは「検索→判断→ツール実行→結果確認→回答」といった複数のステップを踏みます。どこか一つでも判断を誤れば、最終的なアウトプットは失敗となります。この多段階のプロセスを網羅的にテストしようとすれば、評価用データセットの作成とメンテナンスに膨大な工数が必要となります。
日本市場における「品質」の壁
特に日本企業においては、この問題は深刻です。日本のビジネス現場では「ゼロディフェクト(欠陥ゼロ)」が理想とされる傾向があり、AIに対しても「100%の正解」を求めがちです。
例えば、経理処理を自動化するエージェントが、90%の確率で正しく処理できても、残り10%で「幻覚(ハルシネーション)」を起こして誤った発注データを登録してしまえば、それは業務システムとして受容されません。欧米企業が「まずはデプロイして、フィードバックループで改善する」アプローチを採るのに対し、日本企業は「リリース前の完璧な品質保証」を重視するため、評価フェーズでのコストと期間が長期化しやすい構造にあります。
自動評価と人手評価のハイブリッド戦略
このコストと品質のジレンマを解消するためには、MLOps(機械学習基盤の運用)の観点を取り入れた戦略的な評価体制が必要です。
すべてを人間が見るのも、すべてをAIに任せるのもリスクがあります。初期段階では人間が「正解データ(Golden Dataset)」を入念に作成し、それを基準に「LLM as a Judge」による自動テストを回します。そして、スコアが低いものや、コンプライアンスに関わる重要な判断だけを人間が再チェックする「Human-in-the-loop(人間が介在するループ)」のフローを確立することが、コストと品質のバランスを保つ鍵となります。
日本企業のAI活用への示唆
AIエージェントの実用化に向け、意思決定者やプロジェクトリーダーは以下の点を考慮すべきです。
1. 「評価予算」をあらかじめ確保する
AIのランニングコスト(推論コスト)だけでなく、その数倍かかりうる「評価・テスト用APIコスト」と「評価データ作成の人件費」をプロジェクト計画に組み込んでください。テストは一度きりではなく、継続的なモニタリングが必要です。
2. 100%の精度ではなく「リスク許容度」を定義する
「間違える可能性がある」ことを前提に業務フローを設計してください。エージェントがミスをした際に、人間がどうリカバリーするか、あるいはミスが許容されるタスク(アイデア出しや下書き作成)から導入するなど、適用範囲の選定が重要です。
3. 「評価エンジニア」の育成・配置
プロンプトを書くエンジニアだけでなく、AIの出力を適切に評価し、テストフレームワークを構築できる人材(QAエンジニアやAI評価担当)の重要性が増しています。この領域への投資が、最終的なプロダクトの信頼性を左右します。
