米国メディアFierce Networkに掲載されたIBMの戦略に対する辛口のオピニオン記事は、生成AIブームに沸く現在のIT業界に一石を投じています。本稿では、インフラサービスの切り離しと大規模言語モデル(LLM)への急激な傾倒が、製造現場や産業用IoT(Industry 4.0)においてどのようなリスクを孕むのか、日本の製造業やエンタープライズの視点で読み解きます。
インダストリー4.0における「インフラ」と「AI」の乖離
IBMがかつてITインフラ運用部門であるKyndryl(キンドリル)をスピンオフ(分社化)したことは、クラウドとAIへ経営資源を集中させるための「選択と集中」として好意的に報道される傾向にありました。しかし、Fierce Networkのオピニオン記事では、これを「インダストリー4.0(第4次産業革命)」の観点からは戦術的なミスであると指摘しています。
なぜなら、製造現場や重要インフラにおけるデジタルトランスフォーメーション(DX)は、クラウド上のアルゴリズムだけで完結するものではないからです。工場内のセンサー、エッジサーバー、通信ネットワークといった「足回りのインフラ」を安定的に運用・保守する能力こそが、物理世界とデジタルを融合させるインダストリー4.0の土台となります。
日本企業においても、DX推進において「攻めのIT(AI・アプリ開発)」と「守りのIT(インフラ運用)」が組織的に分断されがちです。しかし、現場(OT領域)のデータを吸い上げ、AIで処理し、再び物理世界へフィードバックするループを回すには、両者の密接な連携が不可欠です。インフラ運用を単なるコストセンターとして切り離してしまうと、現場起点のイノベーションが空洞化するリスクがあります。
「LLMバンドワゴン」に乗ることの是非
同記事におけるもう一つの指摘は、IBMを含む多くのテック企業が、米国の「LLM(大規模言語モデル)ブーム」に過度に乗っかっているという戦略的懸念です。確かに生成AIは、チャットボットやドキュメント作成支援といった「オフィス業務」においては革命的な生産性向上をもたらします。
しかし、産業用途、特に製造業の現場管理や自動化においては、LLMが常に最適解とは限りません。LLMは確率論的に「もっともらしい答え」を生成する能力に長けていますが、工場のライン制御や異常検知に求められるのは、確率的な曖昧さではなく、決定論的な正確性とリアルタイム性、そして説明可能性です。
日本の製造業が強みとする「カイゼン」や「すり合わせ」の現場において、汎用的な巨大LLMをそのまま適用しようとすると、ハルシネーション(もっともらしい嘘)のリスクや、推論コスト、レイテンシ(遅延)の問題に直面します。ここでは、特定のタスクに特化した「SLM(Small Language Models:小規模言語モデル)」や、従来の機械学習モデル、物理シミュレーションとのハイブリッドアプローチの方が、実務的な価値が高いケースが多々あります。
日本企業における「現場」と「AI」の距離感
日本企業は、欧米企業と比較して現場の発言力が強く、ボトムアップの改善活動が根付いています。この文化は、トップダウンで巨大なAIシステムを導入しようとする際に摩擦を生むことがありますが、逆に言えば「現場の具体的課題に即したAI」を開発する上では有利に働きます。
「他社がやっているから」「米国で流行っているから」という理由だけで、全社的にLLM導入を急ぐのは危険です。特に、製造データや顧客データといった機密情報を扱う場合、パブリッククラウド上の巨大LLMにデータを流すことへのコンプライアンス上の懸念も残ります。
日本企業が目指すべきは、流行のLLMを無批判に導入することではなく、自社の強みである「現場のドメイン知識」をAIモデルにどう組み込むかという視点です。これには、RAG(検索拡張生成)のような技術を用いて社内データを参照させる手法や、オンプレミスやプライベートクラウドで動作する軽量なモデルの活用が含まれます。
日本企業のAI活用への示唆
今回のIBMに対する批判的視点は、日本の経営層やエンジニアにとっても重要な教訓を含んでいます。実務への示唆として、以下の3点が挙げられます。
1. インフラ軽視からの脱却
AI活用はモデル開発に目が行きがちですが、特にIoTや製造DXにおいては、データを収集・伝送するインフラの安定性が生命線です。インフラ運用部門とAI開発部門を分断せず、DevOpsやMLOps(機械学習基盤の運用)の観点から統合的に管理する体制が必要です。
2. 「適材適所」のモデル選定
「生成AIですべてを解決する」という過剰な期待を捨て、タスクの性質を見極める必要があります。クリエイティブな業務や要約にはLLMが有効ですが、数値予測や制御には従来の機械学習や数理最適化が適しています。目的に応じて複数の技術を組み合わせる「コンポーザブルAI」の視点を持ってください。
3. ガバナンスと現場適合性
海外製の大規模モデルに依存しすぎると、将来的なコスト増やAPI仕様変更のリスクにさらされます。特にセキュリティ要件の厳しい日本企業では、自社の管理下(オンプレミスや国内クラウド)で運用可能なオープンソースモデルの活用や、特定領域に特化した小規模モデルのファインチューニングを検討の選択肢に入れるべきです。
