生成AIブームの中心は依然としてLLM(大規模言語モデル)ですが、世界のAI開発競争はすでに次のフェーズへと広がりを見せています。インドのスタートアップが発表した「大規模行動モデル(LBM)」は、言葉ではなく「人間の行動や特性」を理解することに特化した新たなアプローチです。本記事では、このLBMの概念を解説しつつ、日本のビジネス現場における活用可能性と、それに伴うガバナンス上の課題について考察します。
言葉の生成から「行動の理解」へ
現在、企業が導入を進めているAIの多くは、OpenAIのGPTシリーズに代表されるLLM(Large Language Model)です。これらは膨大なテキストデータを学習し、「次に来る単語」を確率的に予測することで、自然な文章生成や要約を実現しています。しかし、ビジネスの現場、特に人事(HR)、教育、マーケティングといった領域では、「流暢な文章を作ること」よりも「人間の意図や行動特性を理解すること」が求められる場面が多々あります。
こうした中、インドのベンガルールを拠点とするスタートアップAssessliが発表した「Large Behavioural Model(LBM:大規模行動モデル)」は、非常に興味深いアプローチをとっています。記事によれば、これはLLMではなく、人間の行動パターン、認知特性、意思決定の傾向などを学習・モデル化した基盤モデルとされています。つまり、AIが「何を言うか」ではなく、「その人がどのような特性を持ち、どう行動するか」を推論することに特化しているのです。
日本企業における活用シナリオ:HRと顧客体験
もしLBMのような技術が実用化されれば、日本のビジネス課題に対していくつかの直接的なソリューションを提供する可能性があります。最大の適用領域は「HRテック(人事)」でしょう。
少子高齢化による労働力不足が深刻な日本において、採用のマッチング精度向上や従業員のエンゲージメント維持は経営上の最優先課題です。従来のキーワードマッチングや単純な適性検査に加え、LBMを用いて候補者の行動特性や組織文化へのフィット(カルチャーマッチ)をより深く分析できれば、ミスマッチによる早期離職を防ぐ手助けになるかもしれません。また、マネジメント層が部下の特性に合わせたコミュニケーションをとるためのコーチングAIとしても応用が考えられます。
また、顧客体験(CX)の分野でも可能性があります。日本の商習慣である「おもてなし」は、顧客の言葉そのものよりも、その背後にある意図や文脈を汲み取ることに価値があります。テキストの意味解析にとどまらず、顧客の行動ログから次のニーズを予測するLBM的アプローチは、接客の自動化やパーソナライズにおいて、より人間らしい対応を実現する鍵になるでしょう。
「プロファイリング」のリスクとガバナンス
一方で、行動モデルの導入には、LLM以上に慎重なガバナンスが求められます。個人の行動や性格をAIが断定的に評価することは、プライバシー侵害や差別的な「プロファイリング」につながるリスクがあるからです。
日本では個人情報保護法において、個人の権利利益を害するおそれがあるプロファイリングに対する懸念が議論されています。また、欧州のGDPR(一般データ保護規則)や近年のAI規制案では、採用や人事評価など個人の人生に重大な影響を与えるAI利用は「ハイリスク」と分類され、厳格な規制対象となります。
LBMが学習するデータに偏り(バイアス)があれば、特定の属性の人々に対して不当な評価を下す恐れもあります。日本企業がこの種の技術を導入する場合、AIがどのようなロジックで「行動」を評価しているのかという説明可能性(Explainability)の確保と、最終的な意思決定には必ず人間が介在する「Human-in-the-loop」の体制構築が不可欠です。
インドAIエコシステムの台頭
今回のニュースでもう一つ注目すべきは、これが米国や中国ではなく、インドから出てきたという点です。インドは長年、ITサービスの受託開発(アウトソーシング)の拠点としての地位を確立してきましたが、近年では独自の知的財産(IP)を持つディープテック企業の輩出に国を挙げて注力しています。
「インド発の基盤モデル」という事実は、AI開発の主導権がシリコンバレーだけに留まらないことを示唆しています。日本企業としても、AI技術のソーシング先として米国一辺倒ではなく、多様なグローバルエコシステムに目を向ける必要があります。
日本企業のAI活用への示唆
今回のLBMの登場は、日本企業に対して以下の3つの重要な視点を提供しています。
1. LLM偏重からの脱却と目的の再定義
「生成AI=LLM」という固定観念を捨て、解決したい課題が「コンテンツ生成」なのか「人間理解・行動予測」なのかを整理する必要があります。目的に応じて、LLM以外のモデルや、統計的な行動分析モデルの採用を視野に入れるべきです。
2. 行動データの戦略的価値
LBMのようなモデルを自社で活用、あるいはファインチューニング(微調整)するためには、質の高い「行動データ」が必要です。日本企業は現場(現場のオペレーションや顧客接点)に強いと言われます。テキストデータだけでなく、業務ログや顧客の行動履歴をAI学習可能な形で蓄積・整備しておくことが、将来的な競争優位につながります。
3. 倫理的ガードレールの先回り
行動分析系AIは、技術的な難易度以上に「気持ち悪さ」や「倫理的問題」が障壁となります。導入を検討する際は、法務・コンプライアンス部門を初期段階から巻き込み、「AIによる評価・予測をどこまで業務に適用するか」のガイドラインを策定することが、プロジェクト頓挫のリスクを下げる最良の手法です。
