米国運輸省(DOT)が規制策定プロセスへのAI導入を検討する中、現場職員からはその精度に対する懐疑的な声が上がっています。複雑な法規制をGoogle Gemini等のLLMに記述させる試みから見えてきた課題は、日本企業がコンプライアンスや社内規定、契約業務に生成AIを活用する際にも極めて重要な示唆を含んでいます。
米運輸省におけるAI活用の試みと現場の「懐疑」
生成AIの波は行政機関にも押し寄せています。米国のオンライン誌『Undark Magazine』の報道によると、米国運輸省(DOT)では規制の策定や管理プロセスにおいて、Google Geminiをはじめとする大規模言語モデル(LLM)の活用を検討してきました。しかし、実際のプレゼンテーションやテスト運用の過程で、現場の職員たちからは「複雑な規制ルールを正確に記述できるのか」という強い懸念と懐疑論が噴出しているとのことです。
この事象は、生成AIの現状の能力と、法規制やコンプライアンスという「高い正確性が求められる領域」との間のギャップを如実に表しています。LLMは確率的に「もっともらしい文章」を生成することには長けていますが、論理的な整合性を100%担保することや、最新の法的要件を厳密に解釈してアウトプットすることには、依然として構造的なリスク(ハルシネーション=もっともらしい嘘)を抱えています。
「日本語の壁」と日本の法務・コンプライアンス実務
この米国の事例は、そのまま日本のビジネス環境にも当てはまります。現在、多くの日本企業が契約書作成の補助や社内規定の改定案作成、あるいはコンプライアンスチェックに生成AIを活用しようとPoC(概念実証)を進めています。しかし、日本の法規制や商習慣は「行間を読む」文化や、曖昧さを残しつつも厳密な運用を求められる独特な構造を持っています。
特に、日本の組織文化においては「ミスの許容度」が極めて低く、一つの誤記載が大きなリスクにつながる可能性があります。AIが生成した条文案に、存在しない判例が含まれていたり、相反する条項が混在していたりする場合、その確認コストはゼロから人間が作成するよりも高つく場合さえあります。米運輸省の職員が抱いた懸念は、日本の実務担当者が日々感じている不安そのものです。
AIに「判断」させるのではなく「下書き」と「整理」を任せる
では、法務やルール策定の領域でAIは役に立たないのでしょうか。決してそうではありません。重要なのは「AIに最終的なアウトプット(正解)を求めない」という姿勢です。
例えば、膨大なパブリックコメントの要約、既存の規制との差分抽出、あるいは一般的な条文の「たたき台」作成といったタスクでは、AIは強力なパートナーとなります。しかし、最終的な条文の確定や法的整合性のチェックは、必ず人間(専門家)が行う「Human-in-the-Loop(人間がループに入ること)」の体制が不可欠です。AIはあくまで思考の補助ツールであり、意思決定の主体ではないという線引きを明確にする必要があります。
また、技術的なアプローチとしては、汎用的なLLMをそのまま使うのではなく、RAG(検索拡張生成)という技術を用い、信頼できる社内文書や法令データベースのみを参照して回答を作成させる仕組みを構築することで、ハルシネーションのリスクを一定程度低減させることが可能です。
日本企業のAI活用への示唆
米国の事例および日本の商習慣を踏まえ、法務・管理部門におけるAI活用には以下の視点が求められます。
- 「100%の精度」を前提にしない業務設計:AIのアウトプットは必ず人間が査読するプロセスを業務フローに組み込むこと。AIによる省力化は「ゼロから書く時間を減らす」点にあり、「チェックをなくす」ことではありません。
- 責任の所在の明確化:AIが提案した規定や判断によって損害が生じた場合、誰が責任を負うのか。最終的な承認者は人間であることを、ガバナンスガイドラインで明文化する必要があります。
- 特定領域への特化(ドメイン適応):汎用的なモデルに頼りすぎず、自社の過去の契約書や業界固有の法規制データを参照データとして整備(RAGの活用など)し、回答の根拠を提示させる仕組みを導入することが実用化の鍵です。
- 職員・社員のリテラシー教育:AIは平気で嘘をつく可能性があるという特性を現場が理解し、「AIが出したから正しい」という予断を持たずに接する教育が、リスク管理の第一歩となります。
