セキュリティのトップカンファレンス「NDSS 2025」において、LLMを用いてスマートコントラクトの形式検証を支援する「PropertyGPT」という研究が注目を集めています。生成AIを単なる「コード生成」だけでなく「品質保証・セキュリティ検証」に応用するこのアプローチは、人手不足に悩む日本のソフトウェア開発現場にどのような変革をもたらすのか。技術的な背景と実務への影響を解説します。
NDSS 2025と「PropertyGPT」が示唆するもの
2025年のNDSS(Network and Distributed System Security Symposium)は、セキュリティ分野における世界的なトップカンファレンスの一つです。ここで発表された「PropertyGPT」に関する論文は、大規模言語モデル(LLM)と検索拡張生成(RAG)を組み合わせ、スマートコントラクトの「形式検証」を自動化・支援するというテーマを扱っています。
これまで生成AIの活用といえば、GitHub Copilotのような「コードの自動生成」が主流でした。しかし、この研究は生成されたコード、あるいは人間が書いたコードが「仕様通りに正しく動くか」「セキュリティ上の欠陥がないか」を検証するプロセスにAIを導入しようとするものです。特に、金融資産を扱うブロックチェーン上のプログラム(スマートコントラクト)においては、バグが巨額の損失に直結するため、極めて高い信頼性が求められます。
「形式検証」の壁とLLMによるブレイクスルー
ここで重要なキーワードとなるのが「形式検証(Formal Verification)」です。これは、プログラムが仕様通りに振る舞うことを、数学的な論理を用いて厳密に証明する手法です。テストケースを無数に実行する従来のテストとは異なり、理論上すべてのケースを網羅できるため、航空宇宙や医療機器、金融システムなどのミッションクリティカルな領域で重視されてきました。
しかし、形式検証には「高度な数学的知識が必要」「仕様(プロパティ)を記述するコストが高い」という大きな課題がありました。PropertyGPTのアプローチは、LLMを用いて自然言語の仕様書やコードから、検証に必要な論理式(プロパティ)を自動生成しようとするものです。さらにRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術を使い、過去の脆弱性パターンや類似の検証コードを参照することで、LLM特有の幻覚(ハルシネーション)を抑制し、精度の高い検証ルールを生成することを目指しています。
日本企業におけるAI活用の新たな視点:品質保証(QA)への応用
この技術動向は、Web3やブロックチェーン企業だけの話ではありません。日本のエンタープライズ開発全般において、以下の2点で重要な示唆を含んでいます。
第一に、「仕様書とコードの乖離」を防ぐ可能性です。日本の開発現場では、詳細な設計書(ドキュメント)を重視する文化がありますが、開発が進むにつれてコードとドキュメントが乖離することは珍しくありません。LLMを用いてドキュメントから検証コードを生成、あるいはコードから仕様を逆算して突合することが実用レベルになれば、手戻りの大幅な削減が期待できます。
第二に、レガシーモダナイゼーションにおける安全性確保です。多くの日本企業が抱える「2025年の崖」問題において、古い言語(COBOL等)からモダンな言語への移行が進められています。この際、移行前後の挙動が数学的に等価であることを検証するプロセスに、こうしたAI技術が応用できる可能性があります。
リスクと限界:AIは「検証者」になり得るか
一方で、実務導入には慎重な姿勢も必要です。LLMが生成した検証ルール自体に誤りがある場合、誤ったプログラムを「正しい」と証明してしまうリスク(偽陰性・偽陽性)があります。
「AIが書いたコードをAIが検証する」という構成は、一見効率的ですが、共通のバイアスを持つ可能性があります。したがって、最終的な承認プロセスには、必ず人間(Expert-in-the-Loop)が介在し、AIはあくまで「検証ルールの下書き作成」や「エッジケースの指摘」といった支援役に留めるのが、現時点での現実的な解です。
日本企業のAI活用への示唆
今回のPropertyGPTの事例から、日本の意思決定者やエンジニアは以下の点を意識すべきです。
1. 「生成」から「検証」へのシフト
AI活用のKPIを「コードを書く速さ」だけでなく、「バグ検出の早期化」や「テスト網羅率の向上」に設定し直す時期に来ています。特に品質(Quality)を重視する日本の製造業やSIerにとって、AIによる品質保証は親和性の高い領域です。
2. 専門人材不足の補完
形式検証や高度なセキュリティ監査ができる人材は日本国内でも極めて希少です。AIツールを活用することで、一般的なエンジニアでも高度な検証プロセスの一部を担えるようにし、専門家がより高度な判断に集中できる体制を作ることが、組織的な生産性向上につながります。
3. ガバナンスへの組み込み
AIが生成した検証結果を鵜呑みにせず、どのような根拠(RAGで参照されたデータ等)に基づいて「安全」と判断したのか、説明可能性を担保するプロセスを設計してください。これはAIガバナンスの観点からも必須の要件となります。
総じて、AIは単なる「効率化ツール」から、システムの信頼性を担保する「パートナー」へと進化しつつあります。このトレンドをいち早くキャッチアップし、自社の開発プロセスにどう組み込むかが、今後の競争力を左右するでしょう。
