生成AIの能力は文章作成や翻訳にとどまらず、複雑な金融モデルの構築や分析支援にまで及びつつあります。海外で話題となったChatGPTによる株価のDCF(割引キャッシュフロー)分析事例を基点に、AIを意思決定支援や数値分析に活用する際の実務的なポイントと、日本企業が留意すべきリスク・ガバナンスの課題について解説します。
生成AIは金融アナリストの役割を果たせるか
英国のYahoo Financeなどで取り上げられた記事では、ChatGPTを用いてロールス・ロイス社の株価についてDCF(割引キャッシュフロー)法によるバリュエーション(企業価値評価)を試みた事例が紹介されています。記事によれば、AIは特定の前提条件に基づき、現在の時価総額と比較可能な評価額レンジ(500億〜520億ポンド)を算出しました。
DCF法は、将来生み出されるキャッシュフローを予測し、それを現在価値に割り引いて企業価値を算出する、ファイナンス実務の王道的な手法です。これには売上成長率、営業利益率、設備投資、そして割引率(WACC)など、多くの変数に対する仮定が必要です。AIが公開情報を基にこれらのパラメータを推定し、計算プロセスを完遂できたという事実は、生成AIが単なる「チャットボット」を超え、専門的な分析業務のアシスタントになり得る可能性を示唆しています。
LLMの構造的限界と数値計算へのアプローチ
しかし、技術的な観点からは慎重な姿勢も求められます。大規模言語モデル(LLM)は、本質的に「次に来るもっともらしい単語」を確率的に予測するシステムであり、論理的な計算機ではありません。そのため、単純に「〇〇社の企業価値を計算して」と問いかけるだけでは、計算間違いや、存在しない数字をでっち上げる「ハルシネーション(幻覚)」を起こすリスクが常にあります。
実務で活用する場合、AIモデルが内部でPythonなどのコードを実行して計算を行っているか(Code Interpreter/Advanced Data Analysis等の機能)、あるいは外部の信頼できる金融データベースAPIと連携しているかを確認することが重要です。数値の正確性が生命線となる業務においては、AIは「計算機」としてではなく、計算ロジックを組み立てる「設計者」として使い、実際の計算プロセスはプログラムに任せるという分業が、現時点でのベストプラクティスと言えます。
日本企業における「壁打ち相手」としての活用価値
日本の組織文化において、この技術をどう活かすべきでしょうか。稟議や合意形成を重視する日本企業では、AIが出した「答え」そのものよりも、そこに至る「思考プロセス」の補助としてAIを使うことに大きな価値があります。
例えば、経営企画や財務部門において、中期経営計画の策定やM&Aの検討を行う際、AIに「楽観シナリオ」「悲観シナリオ」のパラメータ設定を提案させたり、「この前提条件に対する反論を挙げて」と指示してロジックの脆弱性をチェックさせたりする使い方が有効です。人間が見落としがちな視点をAIが補完することで、より堅牢な意思決定資料を作成することができます。これは、AIを「答えを教えてくれる先生」ではなく、「疲れを知らない優秀な壁打ち相手」として捉えるアプローチです。
ガバナンスと説明責任:AI活用に伴うリスク
一方で、セキュリティとガバナンスには細心の注意が必要です。特に金融分析や事業計画においては、未公表の内部データや機密情報を扱うケースが多々あります。これらをパブリックな生成AIサービスに入力することは、情報漏洩やインサイダー取引規制への抵触といった重大なコンプライアンス違反につながる恐れがあります。
また、AIが提示した分析結果に基づいて投資や経営判断を行い、損失が生じた場合、その責任は誰が負うのでしょうか。日本の法制度や商慣習において「AIがそう推奨したから」という理由は免罪符にはなりません。最終的な判断とその結果に対する説明責任(アカウンタビリティ)は常に人間にあることを、組織全体で再確認する必要があります。そのためには、AIの出力を鵜呑みにせず、出典や計算根拠を必ず人間が検算(ダブルチェック)するプロセスを業務フローに組み込むことが不可欠です。
日本企業のAI活用への示唆
今回の事例から、日本企業の意思決定者や実務者が得るべき示唆は以下の通りです。
- 「計算」と「推論」を区別する:LLMの苦手な数値計算はコード実行機能等で補い、得意なシナリオ生成や論点整理に注力させることで、分析業務の質と効率を向上させる。
- 批判的思考のパートナーとして使う:稟議書や投資判断資料の作成時、AIを「レッドチーム(攻撃側)」として活用し、ロジックの穴を見つけさせることで、より説得力のある資料作成に役立てる。
- データの入力区分を明確化する:公開情報ベースの分析と、機密情報を含む分析を明確に分け、社内規定に沿ったセキュアな環境(エンタープライズ版やローカルLLM)でのみ機密データを扱うよう徹底する。
- 最終判断の責任を保持する:AIはあくまで支援ツールであり、意思決定の主体は人間であることを忘れない。AIの出力に対する検証プロセスを業務フローとして確立する。
