米証券取引委員会(SEC)が暗号資産取引所Geminiに対する執行措置を取り下げたという報道は、一見するとAI業界とは無関係に見えるかもしれません。しかし、この事例は「未成熟な技術領域に対する規制当局の動き」と「企業の対応策」を理解する上で、AI事業に携わる日本企業にとっても重要な示唆を含んでいます。本記事では、米国の規制動向を紐解きながら、AIガバナンスやリスク管理において日本企業が意識すべきポイントを解説します。
「Gemini」違いと、規制当局の強硬姿勢
まず事実関係の整理として、今回SEC(米国証券取引委員会)が訴訟を取り下げたのは、Googleの生成AIモデル「Gemini」ではなく、ウィンクルボス兄弟が率いる暗号資産取引所「Gemini Trust Co. LLC」です。同社が提供していた貸付プログラム(Gemini Earn)を巡る証券法違反の疑いが焦点でした。
なぜAIの専門家である私たちがこのニュースに注目すべきなのでしょうか。それは、SECをはじめとする米国の規制当局が、「法整備が追いついていない先端技術領域」に対して、既存の法律を適用し積極的に執行措置(Enforcement)を行う姿勢を見せているからです。暗号資産で起きたことは、現在進行形でAI業界にも波及しつつあります。技術の進化スピードに対し、規制当局が「投資家保護」や「消費者保護」を大義名分に、ある種の見せしめ的な摘発を行うリスクは、生成AIを活用する企業にとっても対岸の火事ではありません。
AI業界に向けられる「AIウォッシング」への監視
SECのゲンスラー委員長は、すでにAI分野に対しても強い関心を示しており、特に「AIウォッシング(実態以上にAI技術を活用しているように見せかける行為)」に対する警告を繰り返しています。今回のGemini Trustの事例では、企業側が顧客への資金返還などの対応を進めた結果、訴訟が取り下げられましたが、ここから得られる教訓は「当局は実態を厳しく監視しており、企業側が誠実な是正措置やコンプライアンス体制を示せるかが生死を分ける」という点です。
日本企業、特にAIをプロダクトに組み込む開発者やPdM(プロダクトマネージャー)は、技術的な性能(精度やレイテンシ)に目を向けがちですが、グローバル市場、特に北米展開を視野に入れる場合、このような「規制リスク」や「説明責任」が事業存続の鍵となります。
日本の「ソフトロー」と欧米の「ハードロー」のギャップ
ここで意識すべきなのが、日本と欧米の規制環境の違いです。現在、日本政府は「広島AIプロセス」などを通じ、イノベーションを阻害しないためのガイドラインベースの「ソフトロー(法的拘束力のない規範)」を中心としたアプローチをとっています。これは日本企業にとって、AIを活用した新規事業に取り組みやすい環境であると言えます。
一方で、欧州の「AI法(EU AI Act)」や米国の各種大統領令・SECの執行措置は、違反した場合に巨額の罰金や法的措置を伴う「ハードロー」の側面が強いです。日本企業が国内の感覚で「ガイドラインに沿っていれば大丈夫」と判断し、そのまま海外市場でサービスを展開すると、思わぬ法的リスクに直面する可能性があります。今回のSECの動きは、米国のルールメイキングが「司法の場での争い」を通じて形成されるという、コモン・ロー特有の厳しさを改めて浮き彫りにしました。
日本企業のAI活用への示唆
以上の動向を踏まえ、日本の意思決定者や実務者が明日から意識すべき点は以下の通りです。
1. AIガバナンスは「守り」ではなく「事業継続要件」
コンプライアンス対応を単なるコストと捉えず、サービス停止リスクを回避するための必須投資と捉える必要があります。特に生成AIの出力に関する著作権やハルシネーション(もっともらしい嘘)のリスクに対し、人間によるレビュー体制(Human-in-the-loop)やガードレールの設置を技術的・組織的に担保してください。
2. 「AIウォッシング」の回避
マーケティングにおいて「AI搭載」を謳う場合、その実態と効果を技術的に説明できる状態にしておくことが重要です。過度な期待を持たせる表現は、将来的に規制当局やユーザーからの訴訟リスクになります。
3. 規制動向のモニタリングと柔軟性
AI規制は現在進行形で変化しています。一度策定した社内規定を固定化せず、MLOpsのプロセスと同様に、ガバナンス体制も継続的にアップデートできるアジャイルな組織文化を作ることが、日本企業の勝ち筋となるでしょう。
