ChatGPTやAPIプラットフォームを通じて、月間数億人のユーザーを抱えるOpenAI。その膨大なトラフィックを支える基盤技術の一つが、伝統的なリレーショナルデータベースである「PostgreSQL」であることは、多くの示唆に富んでいます。最先端のAIサービスにおいて、なぜあえて標準的な技術が選ばれているのか。その背景にある技術的な合理性と、日本企業がAIインフラを構築する際に参考にすべき視点を解説します。
最先端AIを支える、堅実なデータ基盤
生成AIのブーム以降、ベクトルデータベース(Vector DB)や専用のAIインフラ技術に注目が集まりがちです。しかし、VentureBeatなどが報じた最新の技術動向によると、OpenAIはChatGPTやAPIプラットフォームの運用データ管理において、オープンソースのリレーショナルデータベース「PostgreSQL」を中核に据え、8億ユーザー規模のスケールを実現しています。
具体的には、ユーザーの会話履歴、認証情報、メタデータなどの「運用データ(Operational Data)」の管理に使用されています。AIモデルそのものの推論処理とは異なり、これらのデータアクセスは「読み取り(Read)」が主体となる特性があります。OpenAIはこの特性を見極め、読み取り負荷の分散やスケーリングに長年の実績があるPostgreSQLを採用することで、爆発的なユーザー増加に耐えうる安定性を確保しているのです。
「枯れた技術」を選ぶ戦略的合理性
日本企業、特に大手企業のIT部門において、AI導入時の懸念事項として「新しい技術スタックの不安定さ」や「保守運用の難易度」が挙げられます。しかし、世界で最も利用されているAIサービスが、PostgreSQLという「枯れた技術(十分に検証され、安定している技術)」でスケーラビリティを確保している事実は、多くの日本企業にとって朗報と言えるでしょう。
PostgreSQLは日本国内でも採用実績が豊富で、SIerや社内エンジニアにとっても馴染み深い技術です。未知の専用データベースを導入して学習コストや採用難易度を高めるよりも、既存のナレッジやツールエコシステムを流用できる技術を選定することは、リスク回避の観点からも、開発スピードの観点からも極めて合理的です。特に、「24時間365日の安定稼働」が求められる日本の商習慣において、トラブルシューティングの事例が豊富な技術を採用することは、AIサービスの信頼性に直結します。
スケーラビリティとコストのバランス
OpenAIの事例は、AIサービスにおける「適材適所」の重要性も示しています。すべてのデータを高価で特殊なデータベースに入れる必要はありません。LLM(大規模言語モデル)の推論やベクトル検索といったAI特有の処理と、ユーザー管理やログ保存といったWebアプリケーションとしての処理を明確に分離し、後者にはコスト対効果の高い標準技術を充てる。
これは、予算管理に厳しい日本の組織においても重要な視点です。クラウドコストの高騰が課題となる中、ライセンス費用がかからず、かつマネージドサービス(クラウド事業者が運用管理を代行するサービス)が充実しているPostgreSQLを活用することは、中長期的なTCO(総保有コスト)削減に寄与します。
日本企業のAI活用への示唆
今回のOpenAIの事例から、日本企業の意思決定者やエンジニアは以下の点を意識すべきです。
- 既存技術の再評価と活用:AIだからといって、すべてのスタックを刷新する必要はありません。運用データの管理など、Webサービスの基本機能部分には、社内に知見があるPostgreSQLのような標準技術を採用することで、採用難易度を下げ、運用の安定性を高めることができます。
- ワークロードに応じたアーキテクチャ設計:「書き込み」が多いのか「読み取り」が多いのか、データの特性を見極めることが重要です。ChatGPTのように読み取り主体の運用データであれば、リレーショナルデータベースのリードレプリカ(読み取り専用の複製)活用などで十分にスケール可能です。
- 過度な「専用技術」信仰からの脱却:ベンダー独自の特殊なデータベースへのロックインを避け、オープンスタンダードな技術を選ぶことは、将来的な移行や拡張の自由度(ポータビリティ)を担保する上で、AIガバナンスの観点からも推奨されます。
AIの本質的な価値は、インフラの奇抜さではなく、ユーザー体験と解決される課題にあります。「世界最先端のAI企業が、足回りには堅実な技術を選んでいる」という事実は、堅実なものづくりを得意とする日本企業が、自信を持ってAI開発を進めるための大きな後押しとなるはずです。
