ChatGPTなどの対話型AIを、自身の健康相談や医療情報の検索に利用するユーザーが世界的に急増しています。しかし、専門家はその利便性を認めつつも、正確性やプライバシーの観点で警鐘を鳴らしています。本稿では、米国での議論を参考にしつつ、日本の法規制や商習慣に照らし合わせた際、企業がヘルスケア領域でAIを活用するために押さえておくべきリスクと可能性について解説します。
身近になる「AIへの健康相談」とその危うさ
米国では、数百万人のユーザーがChatGPTなどの生成AIを、自身の健康状態や症状に関する相談相手として利用し始めています。予約の取りにくい専門医に掛かる前の「一次スクリーニング」として、あるいは難解な医療用語を平易に翻訳してもらうためのツールとして、AIは大きな可能性を秘めています。しかし、イェール大学をはじめとする専門家たちが指摘するように、ここには見過ごせないリスクが存在します。
大規模言語モデル(LLM)は、膨大なテキストデータを学習し、文脈に沿った「もっともらしい」回答を生成することには長けていますが、医学的な「真実」を保証する機能は持っていません。特に医療・ヘルスケアという、人命やQOL(生活の質)に直結する分野においては、わずかな誤情報が重大な結果を招く恐れがあります。
「もっともらしい嘘」ハルシネーションのリスク
生成AIの実務適用において最大の障壁となるのが「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる現象です。AIが事実とは異なる情報を、さも自信ありげに回答してしまうこの現象は、医療分野では致命的です。例えば、存在しない治療法を推奨したり、相互作用に問題のある薬の組み合わせを肯定したりするリスクが常に伴います。
日本企業が自社サービスとしてヘルスケアAIチャットボットなどを提供する場合、このリスクヘッジは極めて重要です。「AIの回答は参考情報に過ぎない」という免責事項(ディスクレーマー)を表示するだけでは、万が一の事故の際に企業の社会的責任やブランド毀損を防ぐことは難しいでしょう。RAG(検索拡張生成)技術を用いて、信頼できる医学文献やガイドラインのみを参照させる仕組みを構築するなど、技術的なガードレールの設置が不可欠です。
日本の法規制とプライバシー保護の観点
情報の取り扱いについて、日本には「個人情報保護法」があり、病歴や診療情報などは「要配慮個人情報」として極めて厳格な管理が求められます。米国のHIPAA(医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)と同様、日本国内でも患者データをパブリックなAIモデルに入力することは、コンプライアンス上、重大な違反となるリスクがあります。
企業が社内業務の効率化やサービス開発でAIを利用する場合、Azure OpenAI Serviceのようなセキュアなエンタープライズ環境を利用し、入力データがAIの学習に使われない設定を徹底する必要があります。また、個人を特定できないようデータを加工(匿名加工情報化)するプロセスも、AI活用の前段階として整備しなければなりません。
医師法との兼ね合い:AIは「診断」できるか
日本の実務において忘れてはならないのが「医師法」との兼ね合いです。医師法第17条により、医師でなければ医業をなしてはならないと定められています。AIが具体的な症状に基づいて病名を断定したり、具体的な投薬指示を行ったりすることは「診断」とみなされ、法に抵触する可能性があります。
したがって、日本国内のプロダクト設計においては、AIの役割を「診断」ではなく、あくまで「情報提供」や「受診勧奨(トリアージ支援)」、あるいは医療従事者の「業務支援」に留める必要があります。AIは医師を代替するものではなく、医師の判断をサポートする「副操縦士(Copilot)」であるという位置づけを明確にすることが、社会実装への近道です。
日本企業のAI活用への示唆
ヘルスケア領域における生成AIの活用は、リスクと隣り合わせですが、業務効率化や患者体験の向上において計り知れないメリットもあります。日本企業がこの分野に取り組む際は、以下の3点を意識すべきでしょう。
1. 「要配慮個人情報」の厳格な管理とガバナンス
利用するAIモデルがデータを学習に利用しないか、データ通信が暗号化されているかなど、技術的な安全性を確保すると同時に、従業員が安易に顧客データを外部AIに入力しないよう社内ガイドラインを策定・周知することが第一歩です。
2. 「診断」ではなく「支援」への特化
法的なリスクが高い「直接的な診断行為」をAIにさせるのではなく、カルテの要約作成、論文検索の効率化、問診票の下書き作成など、医療従事者の事務負担を軽減する「バックオフィス業務」や「診療支援」から導入を進めることが現実的かつ効果的です。
3. Human-in-the-loop(人間による確認)の必須化
AIの出力結果をそのまま最終回答とするのではなく、必ず医師や専門家が内容を確認・修正するプロセスを業務フローに組み込むことが重要です。AIはあくまで下書きや提案を行うツールであり、最終的な責任と判断は人間が担うという体制を構築することで、リスクを最小限に抑えつつAIの恩恵を享受できます。
