米国マサチューセッツ州とGoogleが連携して展開するAI人材育成プログラムは、AIスキルを「専門家向け」と「一般ビジネスパーソン向け」に明確に区別しています。日本の「リスキリング」ブームにおいて混同されがちなこの2つの領域と、AI活用に不可欠な「アジャイル」な思考法について、実務的な観点から解説します。
グローバルなAI人材育成の潮流:階層化されるスキル要件
Googleがマサチューセッツ州の技術ハブ(MassTech)と連携して提供している認定プログラムのラインナップを見ると、現在のAI活用において「誰が何を学ぶべきか」という国際的な標準解が透けて見えます。ここで注目すべきは、データサイエンティスト向けの『AI Professional Certificate』と並んで、より広範な層に向けた『AI Essentials』、そして『Agile Essentials』が用意されている点です。
日本企業が「AI人材の育成」や「リスキリング」を掲げる際、往々にして全社員にPythonや機械学習の基礎理論を学ばせようとするケースが見受けられます。しかし、実務の現場で求められているのは、全員がモデルを開発できることではありません。グローバルの潮流は、AIを「作る人」と「使う人」のスキルセットを明確に分け、それぞれに適したリテラシー教育を行う方向へシフトしています。
「作るスキル」と「使いこなすスキル」の分離
企業がAI導入を進める際、まず定義すべきは「AIリテラシー」の中身です。
一つ目は、エンジニアやデータサイエンティストに求められる「構築・運用(Build / Ops)のスキル」です。これには、モデルの選定、ファインチューニング(追加学習)、RAG(検索拡張生成)の構築、そしてMLOps(機械学習基盤の運用)が含まれます。Googleの『AI Professional』コースが対象とするのはこの領域であり、内製化を目指す企業にとっては必須のコア人材となります。
二つ目は、営業、マーケティング、バックオフィスなど全職種に求められる「活用(Usage)のスキル」です。これが『AI Essentials』に相当します。ここでは、プロンプトエンジニアリング(指示出しの技術)だけでなく、AIがもっともらしい嘘をつく「ハルシネーション」のリスク理解、セキュリティや著作権への配慮、そして「AIに任せるべき業務と人間が判断すべき業務の切り分け」が含まれます。
日本企業においては、後者の「活用のスキル」の標準化が急務です。現場の社員がAIの限界を知らずに業務利用すれば、情報漏洩や誤った意思決定につながるリスクがあるからです。
なぜAI活用に「アジャイル」が必要なのか
興味深いのは、Googleのプログラムに『Agile Essentials』が含まれている点です。これは、生成AI時代のプロジェクト進行において、従来のウォーターフォール型(要件定義からリリースまでを一方向で行う手法)が通用しづらくなっていることを示唆しています。
生成AIを活用したプロダクトや業務フロー開発は、不確実性の塊です。「やってみないと精度が出るかわからない」ことが前提であり、完璧な要件定義書を作るよりも、小さなプロトタイプを作って検証し、修正を繰り返すアジャイル型のアプローチが不可欠です。
日本の多くの組織では、AI導入においても重厚長大な計画書やROI(投資対効果)の事前確約が求められがちです。しかし、この商習慣こそが、日本のAI活用を「PoC(概念実証)止まり」にさせている一因かもしれません。AI活用とアジャイルな組織運営は、セットで考える必要があります。
日本企業のAI活用への示唆
以上の動向を踏まえ、日本の経営層やリーダー層は以下の3点を意識してAI戦略を推進すべきです。
1. 人材育成の「二極化」を許容する
全社員に高度な技術教育を施す必要はありません。現場レベルでは「AIを安全かつ効果的に使うためのガイドラインと基礎教育」を徹底し、エンジニアレベルでは「外部ベンダーに丸投げせず、目利きや実装ができる専門性」を育成する、という役割分担を明確にしてください。
2. 「アジャイル」をプロセスに組み込む
AIプロジェクトにおいては、初期段階での完璧な品質保証は不可能です。リスクを許容できる範囲(サンドボックス環境など)を設け、失敗と改善を高速に繰り返すプロセスを組織として承認する必要があります。これは技術の問題ではなく、組織文化とガバナンスの問題です。
3. ガバナンスは「禁止」ではなく「作法」で統制する
セキュリティを懸念してAI利用を一律禁止にすれば、社員は個人のスマホで業務を行う「シャドーAI」に走るだけです。グローバルの『Essentials』教育が目指すように、リスクを正しく理解させた上で、安全なツールと環境を提供する「ガードレール型」のガバナンスへの転換が求められます。
