多くの日本企業が生成AIの「PoC(概念実証)止まり」という課題に直面しています。Googleが開発者向けに公開した大規模言語モデル「Gemini」とワークフローエンジン「Temporal」の連携事例は、AIエージェントの挙動を日本の企業システムが求める「堅牢な業務プロセス」へと昇華させるための重要なアーキテクチャを示唆しています。
AIエージェントにおける「信頼性」の欠如
現在、多くの企業がRAG(検索拡張生成)を用いた社内QAボットや、議事録要約といったタスクで生成AIを活用しています。しかし、次のステップとして期待される「AIエージェント」――つまり、AIが自律的にツールを操作し、複数の手順を経て業務を完遂するシステム――の実装には高いハードルが存在します。
最大の問題は、LLM(大規模言語モデル)自体が本質的に「ステートレス(状態を持たない)」であり、かつ確率的な挙動をする点です。一方で、企業の基幹業務は「ステートフル(状態を持つ)」であり、確実性が求められます。例えば、発注処理の途中でシステムがダウンした場合、どこまで処理が進んだのかを正確に把握し、再開できなければなりません。これまでのAI実装では、この「システムとしての耐久性(Durability)」が軽視されがちでした。
Google GeminiとTemporalが示す解決策
Googleが公開した技術ドキュメント「Durable AI agent with Gemini and Temporal」は、この課題に対する一つの解を提示しています。ここでは、GoogleのLLMであるGeminiの推論能力と、オープンソースのワークフローオーケストレーションエンジンであるTemporalを組み合わせています。
Temporalは、マイクロサービスアーキテクチャにおいて「処理が失敗しても、自動的にリトライし、最終的に完了させる」ことを保証するための基盤技術です。UberやNetflixなどのテック企業で採用され、近年では日本国内の先進的なテック企業でも導入が進んでいます。
この組み合わせの肝は、「AIの頭脳(判断)」と「実行基盤の足腰(信頼性)」の役割分担にあります。AIが「次に何をすべきか」を決定し、Temporalが「その処理を確実に実行し、結果を管理する」役割を担います。これにより、途中でAPIエラーが発生したり、サーバーが再起動したりしても、AIエージェントは「記憶」を失うことなく、直前の状態からタスクを再開できます。
日本企業に親和性の高い「Human-in-the-Loop」の実装
このアーキテクチャが日本の実務において特に重要な意味を持つのは、「Human-in-the-Loop(人間参加型)」のワークフローを容易に構築できる点です。
日本の商習慣やコンプライアンス要件では、AIが勝手に外部へメールを送信したり、決済を行ったりすることは許容されにくい傾向にあります。Temporalのような基盤を用いると、「AIが下書きを作成し、担当者の承認(クリック)を待つ」というプロセスをシステム的に定義できます。
特筆すべきは、この「承認待ち」の状態が数分でも数日でも、システムリソースを消費せずに安全に維持できる点です。上長の承認が下りるまでプロセスを一時停止し、承認後にAIが続きの処理(送信やシステム登録)を行うといった、日本的な「稟議・承認プロセス」への組み込みが技術的に担保されます。
導入のハードルと留意点
一方で、このアプローチには課題もあります。従来の「プロンプトエンジニアリング」だけで完結するような手軽な開発ではなく、堅牢なバックエンド開発の知識が求められます。Temporalのようなオーケストレーションツールの学習コストや、インフラの運用コストも考慮する必要があります。
また、LLMの出力が不安定であることには変わりないため、AIが誤った判断をしてリトライを繰り返す「無限ループ」に陥らないよう、ガードレール(安全性担保の仕組み)をコードレベルで実装する必要があります。
日本企業のAI活用への示唆
今回のGoogleの事例は、生成AIの活用フェーズが「対話」から「実務代行」へと移行しつつあることを示しています。日本の意思決定者やエンジニアは以下の点を考慮すべきです。
1. 「チャットボット」から「堅牢なエージェント」への視座転換
AIを単なる相談相手としてではなく、業務システムの一部として組み込むためには、従来のWeb開発で培われた「トランザクション管理」や「耐障害性」の技術をAI開発に融合させる必要があります。
2. 「人間による承認」を前提とした設計
AIのリスク(ハルシネーション等)を技術だけでゼロにするのは困難です。ワークフローエンジンを活用し、クリティカルな処理の直前に必ず人間が介在するフローを標準化することで、ガバナンスを効かせながらAIの自動化メリットを享受できます。
3. エンジニアリングへの投資
「ノーコードで誰でもAI開発」という謳い文句は魅力的ですが、企業のコア業務を担うエージェント開発には、しっかりとしたソフトウェアエンジニアリングのスキルセットが必要です。AIモデルの選定だけでなく、それを支える「実行基盤(Ops)」への投資が、PoC脱却の鍵となります。
