米国市場では、生成AIが既存のソフトウェア産業やBPOビジネスを破壊するという懸念から「AIスケア・トレード(AI脅威による売り)」が観測されています。一方で、中国市場はそのトレンドに逆行し、依然としてAIの「勝者」を模索する動きが見られます。本稿では、このグローバルな温度差を背景に、労働力不足という固有の課題を抱える日本企業が、AIによる破壊的イノベーションをどう捉え、実務に落とし込むべきかを解説します。
「AIスケア・トレード」とは何か:SaaSとBPOへの逆風
昨今、米国の投資家や市場関係者の間で「AI Scare Trade(AIの脅威による売り)」という言葉が囁かれています。これは、急速に進化する生成AIやAIエージェントが、これまで堅調だったSaaS(Software as a Service)企業や、コールセンター、事務代行などのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)企業の収益基盤を根底から崩すのではないかという懸念に基づいた市場の動きです。
具体的には、「AIがコードを書けるなら開発支援ツールは不要になる」「AIが顧客対応を完結できるならCRM(顧客関係管理)ソフトのシート課金モデルは崩壊する」といったシナリオが現実味を帯びてきたためです。投資家たちは、AIによって「強化される企業」ではなく、AIによって「代替・淘汰される企業」を警戒し、資金を引き揚げ始めています。
中国市場の「逆行」が示唆するもの
一方で、Bloombergの記事にもある通り、中国市場はこの「AIスケア・トレード」の潮流に逆行する動きを見せています。独自のAIエコシステムやハードウェア、インフラストラクチャへの投資意欲が依然として高く、市場は「誰がAI時代の勝者になるか」を選別するフェーズにあります。
ここから読み取れるのは、AIの影響は国や地域の産業構造、規制環境によって全く異なる形で現れるという事実です。米国のようにすでにSaaSが成熟しきった市場では「破壊」が焦点になりますが、成長余地のある市場や、国家主導でインフラを整備する市場では、依然として「建設」と「投資」が優勢です。では、日本はどうでしょうか。
日本企業における「破壊」と「救済」の二面性
日本企業にとって、米国の「AIスケア・トレード」の背景にあるロジックは、リスクであると同時に「救済」でもあります。
まず、リスクの側面です。多くの日本企業は、米国製のSaaSやクラウドサービスに業務基盤を依存しています。もし、SalesforceやAdobe、あるいはMicrosoftといった巨人が、AIエージェント化によってサービスモデルを抜本的に変更した場合(例えば、「人が操作するツール」から「自律的に結果を出す代行者」への移行)、日本の現場における業務フローやマニュアル、従業員のスキルセットは一夜にして陳腐化する恐れがあります。
一方で、日本固有の事情である「深刻な労働力不足」を鑑みれば、AIによる「人の代替」は脅威ではなく、待ち望まれた解決策となります。米国では「雇用が奪われる」と恐れられる技術が、日本では「採用難の穴を埋める」技術として機能するからです。
実務者が意識すべき「ガバナンス」と「自律性」
しかし、単に「人が足りないからAIに任せる」という楽観論は危険です。AIエージェントが自律的にタスクをこなすようになると、従来の「道具としてのAI」とは異なるガバナンスが求められます。
例えば、AIが自律的に在庫を発注したり、顧客にメールを返信したりする場合、その結果責任を誰が負うのか。日本の商習慣では、ミスが発生した際の「お詫び」や「責任の所在」が重視されます。AIの判断プロセスがブラックボックス化したまま実務に導入することは、コンプライアンス上の大きなリスクとなります。
また、SIer(システムインテグレーター)に開発を丸投げする文化が根強い日本において、ブラックボックス化したAIソリューションを導入することは、ベンダーロックインのリスクをさらに高めることになります。自社のコア業務が「中身のわからないAI」に依存する状態は、経営の自律性を損なう可能性があります。
日本企業のAI活用への示唆
世界の投資家が「AIによる産業構造の変化」に敏感に反応している今、日本の意思決定者やエンジニアは以下の視点を持つべきです。
- 「ツール導入」から「ワークフロー再設計」へ:
既存のSaaSにAI機能がついただけのものを導入しても、根本的な生産性は上がりません。「人がツールを使う」のではなく「AIエージェントがタスクを完遂する」ことを前提に、業務フロー自体を再設計する必要があります。これは米国で起きている「SaaS離れ」の本質的な理由でもあります。 - 「代替」を恐れず、「補完」を最大化する:
米国市場が恐れる「雇用の喪失」は、日本では「人手不足の解消」というポジティブな要素に変換できます。定型業務やBPO領域において、AIによる完全自動化を恐れずに推進すべきです。ただし、最終的な品質保証(Human-in-the-loop)の設計は、日本品質を維持するために不可欠です。 - AIガバナンスを「ブレーキ」ではなく「ハンドル」にする:
法規制やリスクを理由にAI利用を禁止するのではなく、「どの範囲までならAIに自律的な決定権を持たせるか」という権限規定(ガードレール)を明確にすることが、現場のエンジニアやプロダクト担当者が安全に攻めるための鍵となります。
