英フィナンシャル・タイムズ(FT)によると、KPMGオーストラリアのパートナーが、社内のAI必須研修のテストにおいて生成AIを使用して回答したとして罰金処分を受けました。この「AIについて学ぶためのテストをAIに解かせる」という皮肉な事案は、DXやリスキリングを推進する日本企業にとっても、決して対岸の火事ではありません。本稿では、この事例から見えるAIガバナンスと組織文化の課題について解説します。
プロフェッショナルによる「AIを使ったカンニング」の衝撃
報道によると、KPMGオーストラリアのパートナー(共同経営者クラスの幹部)が、社内で義務付けられたAIに関するオンライテストにおいて、生成AIを使用して回答を作成していたことが発覚しました。結果として、このパートナーは1万オーストラリアドル(約100万円相当)の罰金を科せられました。
このニュースがAI業界やビジネス界で話題になった理由は、単なる「カンニング」だからではありません。「AIのリスクや適切な利用法を学ぶための研修」において、「AIに丸投げして回答させる」という行為が行われた点に強烈な皮肉と教訓が含まれているからです。
プロフェッショナルファームの幹部であっても、多忙や知識不足を理由に、プロセスの正当性よりも「完了させること」を優先してしまうリスクがあることを、この事例は如実に示しています。
形式化する「リスキリング」と形骸化のリスク
日本国内でも現在、多くの企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)の一環として全社的なAIリテラシー教育やリスキリング(学び直し)を進めています。しかし、ここには落とし穴があります。
研修やテストが「人事評価のための形式的な通過儀礼」になっていないでしょうか。もし従業員が「中身を理解すること」よりも「期限内に合格フラグを立てること」を目的化してしまえば、今回のようなAIの不正利用は容易に起こり得ます。特に生成AIは、研修で出題されるような一般的な知識問題や選択式問題への回答生成を得意としています。
AIを活用して業務効率化を図ることは推奨されるべきですが、自己の能力開発をサボるためにAIを使うことは、長期的には組織の競争力を削ぐことになります。これは、技術の問題ではなく、組織文化と倫理の問題です。
「シャドーAI」とガバナンスの限界
今回のケースは、いわゆる「シャドーAI(Shadow AI)」のリスクも示唆しています。シャドーAIとは、会社のIT部門が認可・管理していないAIツールを、従業員が勝手に業務利用することです。
幹部クラスであっても、個人的なアカウントのAIツールを使って社内業務(今回は社内テスト)を処理してしまう可能性があります。もしこれがテストではなく、機密情報を含む実際のクライアント業務であった場合、情報漏洩のリスクに直結します。
日本企業においても、「ChatGPTなどの生成AI利用を禁止」している組織はいまだに多いですが、禁止すればするほど、個人のスマホや自宅PCを使った「隠れ利用」を誘発し、実態が見えなくなるリスクがあります。KPMGの事例は、物理的なブロックや禁止規定だけでは、人間の行動(楽をしたい、ノルマをこなしたいという欲求)を制御しきれないことを示しています。
日本企業のAI活用への示唆
今回の事例を踏まえ、日本企業の経営層やリーダー、AI推進担当者は以下の点に留意すべきです。
1. 研修・評価方法の再設計
知識を問うだけのオンラインテストは、生成AI時代には形骸化しやすくなります。AIが出した答えを批判的に修正させる課題や、実務上の判断を問うディスカッション形式など、AIへの「丸投げ」が通用しない、あるいはAIを「パートナー」として使いこなすプロセス自体を評価する教育プログラムへの転換が必要です。
2. リーダーシップによる倫理規範の提示
今回の当事者がパートナー(幹部)であったことは重大です。現場にはコンプライアンスを求めつつ、上層部が特権的に振る舞う、あるいはリテラシー不足を露呈することは、組織の士気を大きく下げます。経営層こそがAIの限界とリスクを正しく理解し、適正利用の範を示す必要があります。
3. 「禁止」から「モニタリング付きの許可」へ
AI利用を一律に禁止したり、性善説に頼ったりするだけではガバナンスは機能しません。安全な環境(サンドボックスなど)を提供した上で業務利用を認め、その代わりに入力データや利用ログを監査可能な状態にする「管理された自由」を与えることが、シャドーAI対策として有効です。
AIは強力なツールですが、それを使う人間のモラルまでは自動生成してくれません。技術導入とセットで、職業倫理の再定義を進めることが求められています。
