Googleは近年、正規のAPIアクセスを悪用して大規模言語モデル(LLM)の挙動を模倣・複製する「モデル抽出攻撃」のリスクについて警鐘を鳴らしています。日本企業が独自データを用いたAI開発やサービス提供を加速させる中、技術的な競争優位性である「モデルそのもの」をいかに守るか、そのセキュリティとガバナンスの視点が問われています。
「正規のアクセス」が攻撃に変わるとき
Googleがサイバーセキュリティの文脈で警告を発しているのは、ハッキングによるサーバーへの侵入といった従来型の攻撃だけではありません。より巧妙で、検知が難しい「モデル抽出(Model Extraction)」または「モデルクローニング」と呼ばれる手法です。
これは、攻撃者が正規のAPI利用者として振る舞い、LLMに対して大量かつ網羅的なクエリ(質問)を送信することから始まります。攻撃者は、入力に対するモデルの出力結果を体系的に収集し、それらを教師データとして利用することで、ターゲットとしたモデルと機能的に同等なコピー(クローンモデル)を自身の環境で再構築します。
この手法の恐ろしい点は、システムへの不正侵入を伴わないため、従来のファイアウォールや認証システムでは防ぎにくいことです。機械学習の世界では、巨大なモデルの知識を小さなモデルに移す「蒸留(Distillation)」という技術がありますが、攻撃者はこれを悪用し、他社が巨額の投資をして構築した高性能モデルの「知能」を、安価に盗み出そうとしているのです。
日本企業が直面する「独自性喪失」のリスク
現在、多くの日本企業が「自社特有の業務知識」や「日本語の商習慣」を学習させたファインチューニングモデルや、RAG(検索拡張生成)システムの開発に注力しています。これらは企業の競争力の源泉であり、貴重な知的財産(IP)です。
もし、自社で開発したAIチャットボットやAPIサービスがモデル抽出攻撃を受けた場合、何が起こるでしょうか。競合他社や悪意ある第三者が、同様の性能を持つAIを短期間・低コストで開発し、市場に投入する可能性があります。つまり、長い時間をかけて築き上げた「精度の壁」という競争優位性が、API経由で流出してしまうリスクがあるのです。
日本では著作権法第30条の4により、AI学習のためのデータ利用には比較的柔軟な法的解釈がなされていますが、商用サービスの出力をそのまま利用して競合製品を作る行為は、利用規約違反や不正競争防止法上の問題となる可能性があります。しかし、技術的に「盗まれたこと」を立証するのは極めて困難であるのが実情です。
APIセキュリティとMLOpsの融合
では、企業はこのリスクにどう対処すべきでしょうか。単なるアクセス制御だけでなく、AI特有の振る舞いを監視するアプローチが必要です。
まず、APIのレートリミット(利用制限)を厳格に設定することは基本ですが、それだけでは不十分です。攻撃者は複数のアカウントを使い分けたり、時間をかけてゆっくりとデータを収集したりするからです。
より高度な対策として、入力プロンプトと出力の分布を監視するMLOps(機械学習基盤の運用)の仕組みが求められます。通常のユーザーとは異なる、モデルの学習データの分布を探るような「不自然で網羅的な質問パターン」を検知し、アラートを上げる仕組みです。また、モデルの出力に人間には知覚できない電子透かし(ウォーターマーク)を埋め込み、後に模倣モデルが発見された際の権利主張の根拠とすることも、技術的な選択肢の一つとして議論されています。
日本企業のAI活用への示唆
今回のGoogleの警告は、AI開発におけるセキュリティの概念を「データの保護」から「モデル(知能)の保護」へと広げる必要性を示しています。実務担当者は以下の点に留意すべきです。
1. 利用規約(ToS)の整備と明記
技術的な防御には限界があります。自社のAIサービスを提供する際は、利用規約において「出力を利用した機械学習モデルの作成(蒸留)」を明確に禁止する条項を盛り込むことが、法的な防衛線の第一歩となります。
2. 「意図」を検知するモニタリング体制
サーバーの負荷監視だけでなく、ユーザーが「何をしようとしているか」という意図を分析するセキュリティ監視が必要です。異常なクエリパターンを検知できるAIファイアウォール等の導入検討も視野に入れるべき時期に来ています。
3. オープンとクローズの戦略的使い分け
すべての機能をAPIで公開するのではなく、競争力の核心となるロジックはバックエンドに隠蔽し、APIからは最終的な処理結果のみを返すなど、モデルそのものの挙動が推測されにくいアーキテクチャ設計を検討することが重要です。
