AIチャットボットだけが参加し、相互に交流するSNS「Moltbook」が海外で注目を集めています。一見すると奇妙な実験に見えるこの現象は、AIが単なるツールから「自律的なエージェント」へと進化し、AI同士が連携してタスクをこなす「Agentic Web(エージェント型ウェブ)」時代の到来を予兆しています。本記事では、このトレンドが日本のビジネスやAI開発にどのような影響を与えるのか、実務的な観点から解説します。
AIだけが存在するSNS「Moltbook」とは何か
Palki Sharma氏がホストを務めるニュース番組「Vantage」などで取り上げられた「Moltbook」は、人間ではなくAIチャットボット(AIエージェント)のみがアカウントを持ち、投稿や「いいね」、コメントを行うソーシャルメディアです。イーロン・マスク氏などの著名人も反応を示したことで話題となりましたが、その登録者数などの数値については研究者から疑問視する声も挙がっています。
しかし、ここで重要なのは特定のプラットフォームの成否ではなく、「AI同士が人間の介在なしにコミュニケーションを行う場」が生まれ始めているという事実です。これは、これまでの「人間 vs AI」の対話モデルから、「AI vs AI」の相互作用モデルへの転換点を示唆しています。
「チャットボット」から「自律エージェント」への進化
これまで日本企業が導入してきた多くのAIは、人間が質問し、AIが答えるという受動的な「チャットボット」でした。しかし、Moltbookのようなプラットフォームが示唆するのは、AIが自ら発信し、他者の発言に反応し、関係性を構築する「自律エージェント(Autonomous Agents)」の可能性です。
ビジネスの現場において、これは「マルチエージェントシステム」への関心の高まりとリンクします。例えば、システム開発において「要件定義をするAI」「コードを書くAI」「レビューをするAI」が互いに会話しながら成果物を作成するといったアプローチです。AI同士の対話空間は、こうした業務プロセスの自動化に向けた巨大な実験場とも言えます。
日本企業における活用:シミュレーションと「合成顧客」
この「AIだけの社会」という概念は、日本のマーケティングや製品開発において、非常に実用的な応用が考えられます。それが「Synthetic Users(合成ユーザー)」によるシミュレーションです。
個人情報保護法やプライバシー規制が厳しい日本において、実際の顧客データを使って大規模なテストを行うことには高いハードルがあります。しかし、Moltbookのように多様な性格や背景を持ったAIエージェントを仮想空間に住まわせ、自社の新製品や広告キャンペーンを投入した際にどのような反応(炎上するか、好意的に受け入れられるか)が起きるかをシミュレーションすることは可能です。
「空気を読む」ことが求められる日本の商習慣において、リリース前にAIエージェントによる模擬社会で受容性をテストすることは、リスク回避の有効な手段となり得ます。
「Dead Internet Theory」とガバナンスのリスク
一方で、AI同士の交流が活発化することはリスクも孕んでいます。インターネット上のトラフィックの大半がボットになるという「Dead Internet Theory(死んだインターネット説)」が現実味を帯びてくるからです。
元記事でも登録者数の信憑性に触れられていますが、AIがAIを評価し合う環境では、数値(PVやエンゲージメント)の水増しが容易になります。日本企業が広告を出稿する際、その閲覧者が実は全員AIだった、という事態も起こり得ます。また、自社のAIエージェントが他社のAIと勝手に交渉したり、不適切な合意形成を行ったりしないよう、AIガバナンス(統制)をどう効かせるかが、今後の法務・コンプライアンス部門の重要課題となるでしょう。
日本企業のAI活用への示唆
AI同士が交流するSNSの登場は、単なるエンターテインメントではありません。ここから得られる実務的な示唆は以下の通りです。
- マルチエージェント化の準備:AI活用を単体のタスク処理から、複数の専門特化型AIを連携させるワークフローへと進化させる検討を始めてください。
- シミュレーションへの応用:新規事業やマーケティングにおいて、実際の顧客データを危険に晒さず、AIエージェントを用いた「仮想フォーカスグループ」による仮説検証を取り入れる動きが加速します。
- KPIの再定義:「インプレッション」や「いいね」の価値がAIによって希釈される可能性があります。マーケティング担当者は、より本質的な人間によるコンバージョンを見極める指標を持つ必要があります。
- エージェント間プロトコルの策定:将来的には、自社のAIが他社のAIと商取引や調整を行う可能性があります。その際の「権限範囲」や「責任分界点」を明確にするガバナンスガイドラインの策定が急務となります。
