米国の予測市場Polymarketにおいて、「AIエージェントが人間を訴える」という事象が高い確率で成立すると予測されています。これは単なるSF的な話題ではなく、生成AIが「対話」から「自律的な行動」へと進化する過程で避けて通れない法的責任(Liability)とガバナンスの問題を浮き彫りにしています。本稿では、自律型AIエージェント(Agentic AI)の台頭がもたらすリスクと、日本企業が備えるべき法的・実務的ポイントを解説します。
予測市場が投げかける「AIの法的権利」という問い
米国の分散型予測市場プラットフォームPolymarketにおいて、「AIエージェントが人間を訴える」という賭けが注目を集め、一時はその成立確率が70%と予測されました。この予測自体が現実になるかどうかよりも重要なのは、市場参加者(その多くはテクノロジーや金融のトレンドに敏感な層)が、「AIが何らかの法的アクションの主体となり得る未来」を現実的なものとして捉え始めているという事実です。
現在の法制度において、AIはあくまで「モノ」や「プログラム」であり、日本を含む多くの国で法的人格(権利能力)は認められていません。したがって、AI自身が原告となって訴訟を起こすことは、現行法上は不可能です。しかし、この予測市場の動きは、AIが自律的に契約を結んだり、資金を管理したりする「自律型AIエージェント(Agentic AI)」の急速な普及と、それに伴う法制度の歪みを予見していると言えます。
「チャット」から「エージェント」へ:AIの実務利用の変化
2023年までの生成AIブームは、主にChatGPTに代表される「チャットボット(対話型AI)」が中心でした。しかし、2024年以降のトレンドは明らかに「AIエージェント」へとシフトしています。AIエージェントとは、人間が詳細な指示を与えなくても、目標を達成するために自ら計画を立て、ツールを使いこなし、外部システムと連携してタスクを実行するAIのことです。
例えば、これまでのAIが「出張計画を提案する」だけであったのに対し、AIエージェントは「フライトの空席を確認し、社内規定に照らし合わせて最適な便を予約し、決済まで完了する」といった一連の行動を自律的に行います。この「実行能力」こそがビジネスにおける生産性向上の鍵ですが、同時に新たなリスクも生み出します。
日本企業が直面する「自律性のリスク」とガバナンス
日本企業がAIエージェントを導入する際、最も懸念されるのが「AIが行った行為の責任は誰にあるのか」という問題です。日本の民法や商習慣において、契約や不法行為の主体は自然人または法人に限られます。
もしAIエージェントが、誤った判断で巨額の発注を行ったり、差別的な文言で顧客にメールを送ったりした場合、あるいは著作権を侵害するコードを製品に組み込んでしまった場合、その責任は誰が負うのでしょうか。開発ベンダーか、導入企業の経営層か、あるいは現場の担当者か。AIが「自律的」に動くほど、この責任の所在は曖昧になりがちです。
予測市場での「AIが人間を訴える」というシナリオは、例えばDAO(分散型自律組織)のような枠組みの中で、AIがスマートコントラクトを通じて弁護士を雇い、法的措置を自動トリガーするようなケースを想定していると考えられます。日本ではまだ法的なハードルが高いものの、グローバルに展開する企業やWeb3領域に関わる企業にとっては、対岸の火事ではありません。
日本企業のAI活用への示唆
AIエージェントの実用化が進む中で、日本企業は以下の3つの視点で準備を進める必要があります。
1. Human-in-the-loop(人間による承認)の徹底と段階的権限移譲
効率化を急ぐあまり、AIに最初から完全な決済権限や対外的なアクション権限を与えるのは危険です。特に日本の商習慣では「信頼」が重視されるため、AIによる誤発注や不適切な連絡は致命的な信用毀損につながります。まずは「提案」までをAIに行わせ、最終的な「実行(クリック)」は人間が行うプロセスを設計し、徐々に監視付きで自律範囲を広げるアプローチが求められます。
2. AIガバナンスと契約の見直し
AIを利用する際の社内ガイドラインにおいて、従来の「情報漏洩対策」に加え、「AIエージェントの権限範囲」を明確に定義する必要があります。また、AIベンダーとの契約においては、AIの自律的な動作によって生じた損害の責任分界点を明確にしておくことが、法務・コンプライアンス部門の急務となります。
3. 技術的ガードレールの実装
精神論や運用ルールだけでなく、システム的にAIの暴走を防ぐ「ガードレール」の実装が重要です。LLM(大規模言語モデル)の出力や行動を監視し、特定のキーワードや金額、API操作が含まれる場合に強制的にブロックする仕組み(NeMo Guardrailsなど)をアーキテクチャに組み込むことが、エンジニアリング組織には求められます。
