企業内のデータ活用を阻む最大の壁の一つが、顧客データや商品データの重複・表記揺れを統合する「エンティティ解決(名寄せ)」です。LLM(大規模言語モデル)の活用が期待されるこの領域ですが、事実と異なる判断をする「ハルシネーション」のリスクが課題でした。最新の研究フレームワーク「FUSER」を題材に、LLMを用いたデータ整備の可能性と、日本企業が押さえておくべき実務上の要点を解説します。
企業のDXを阻む「名寄せ」の壁とLLMへの期待
日本企業の多くがDX(デジタルトランスフォーメーション)を進める中で、必ずと言っていいほど直面するのが「データのサイロ化」と「データ品質」の問題です。特に、顧客データベースやサプライチェーン管理において、異なるシステム間で同一の実体(人物、企業、商品など)を特定し、統合する「エンティティ解決(Entity Resolution)」、いわゆる「名寄せ」の作業は、膨大な工数を要する課題となっています。
従来のルールベース(規則に基づく手法)や機械学習モデルでは、表記揺れや入力ミス、情報の欠損に対応するために大量の教師データ(正解ラベル付きデータ)が必要でした。そこで近年、文脈理解に長けたLLM(大規模言語モデル)を名寄せに応用する動きが活発化しています。LLMであれば、「株式会社」と「(株)」の違いや、住所の軽微な記載ミスなどを人間のように柔軟に解釈できる可能性があるからです。
LLM活用の課題:ハルシネーションとコスト
しかし、名寄せ業務にLLMをそのまま適用することには大きなリスクも伴います。その最たるものが「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」です。今回取り上げる研究などの報告によれば、LLMは関連性のないデータを「同一人物である」と自信満々に誤判定したり、存在しない属性情報を捏造してマッチングさせたりすることがあります。金融機関の本人確認(KYC)や医療データの名寄せにおいて、このような事実は許容されません。
また、数万、数百万件のレコードを処理する名寄せタスクにおいて、すべてのペア比較に高性能なLLMを使用すれば、APIコストや計算リソースの消費は莫大なものになります。したがって、実務で使うには「精度」と「コスト」のバランスをどう取るかが鍵となります。
最新フレームワーク「FUSER」に見る解決の糸口
こうした課題に対し、最新の研究では「FUSER(Few-Shot Entity Resolution)」のようなフレームワークが提案されています。このアプローチの核心は、LLMに丸投げするのではなく、LLMの推論能力を「Few-Shot(少数の例示)」によって制御し、従来の軽量なモデルと組み合わせる点にあります。
具体的には、LLMに対して「これとこれは同一人物」「これは別人」という少数の具体例(ショット)を与え、判断基準を学習させます。これにより、大量の学習データを用意することなく、特定のドメイン(業界用語や特有のデータ形式)に適応させることが可能になります。また、計算コストの高いLLMによる判断を、判断が難しい「グレーゾーン」のデータのみに限定し、明らかな一致・不一致は軽量なアルゴリズムで処理することで、コストを抑えつつ高い精度を実現するアプローチが取られています。
日本の商習慣における「名寄せ」の難しさ
日本国内での活用を考える場合、英語圏の研究以上に考慮すべき固有の複雑さがあります。漢字の異体字(「斎藤」と「斉藤」など)、全角・半角の混在、カタカナ表記の揺れ、そして「ビル名・階数」の多様な記述方法などです。
LLMは多言語対応が進んでいますが、日本の住所や法人名の細かなニュアンスを正確に識別させるには、日本固有のデータセットを用いたFew-Shotプロンプティング(例示による指示)や、RAG(検索拡張生成)の技術を応用して、社内のマスターデータを参照させる仕組みが不可欠になるでしょう。
日本企業のAI活用への示唆
今回の「名寄せ×LLM」の事例から、日本企業がAIを実務に組み込む際に意識すべきポイントは以下の通りです。
- 「AI=魔法」ではないという認識:
LLMは万能なデータクリーニングツールではありません。特に顧客データなどの重要情報(System of Record)を扱う場合、ハルシネーションのリスクを前提とし、最終的な人間による確認プロセスや、従来のルールベース処理とのハイブリッド構成を設計する必要があります。 - スモールスタートとFew-Shotの活用:
最初から完璧なAIモデルを開発しようとせず、少数の正解データ(Few-Shot)を与えてLLMの挙動を確認することから始めるべきです。現場の知見(ドメイン知識)をプロンプトという形でAIに教え込むプロセスが、精度の鍵を握ります。 - データガバナンスへの投資:
生成AIやデータ分析の成果を最大化するためには、その前段階である「データ整備(名寄せ・クレンジング)」への投資が不可欠です。LLMを活用するツール導入を検討する際も、単に「AI搭載」という言葉に踊らされず、「誤判定をどう検知するか」「コスト構造はどうなっているか」を厳しく評価する視点が求められます。
