生成AIのセキュリティ分野への応用が加速していますが、汎用的なベンチマークスコアが高いモデルが、必ずしもサイバー攻撃の防御に役立つとは限りません。本記事では、セキュリティ運用センター(SOC)の現場で真に求められるAIの能力と、日本企業が陥りがちな「評価の罠」について解説します。
汎用ベンチマークと現場の乖離
大規模言語モデル(LLM)の性能を測る際、多くの企業やエンジニアは「MMLU(Massive Multitask Language Understanding)」や「HumanEval」といった公開されたベンチマークスコアを参照します。これらはモデルの一般的な知識やコーディング能力を測る上では有用な指標です。しかし、ことサイバーセキュリティの最前線であるSOC(Security Operations Center)の業務においては、これらのスコアはほとんど意味を成さないことがあります。
なぜなら、SOCのアナリストが直面するのは、教科書的な知識を問うクイズではなく、「不完全なログデータからの脅威検知」「誤検知(過検知)の迅速な排除」「切迫した状況下での意思決定」だからです。汎用的な知能が高いことと、特定のセキュリティツールを操作し、文脈を理解してインシデントを封じ込める能力は別物です。日本企業においても、カタログスペックだけでAI製品を選定し、実際の運用フローに組み込んだ際に期待外れに終わるケースが散見されます。
SOCで真に求められる指標とは
セキュリティ運用の現場でLLMに求められるのは、学術的な正解率ではなく、以下の実務的な指標(KPI)への貢献度です。
- 平均検出時間(MTTD)の短縮:膨大なログの中から、AIがいかに早く異常の兆候を見つけ出せるか。
- 平均封じ込め時間(MTTC)の短縮:脅威を特定した後、影響範囲を最小化するための具体的なアクション(端末の隔離やアカウント停止など)をどれだけ迅速に提示・実行できるか。
- ノイズの削減率:セキュリティ担当者を疲弊させる大量のアラートのうち、対応不要なものをどれだけ正確にフィルタリングできるか。
特に日本国内では、多くの組織でセキュリティ人材が不足しており、少数の担当者が大量のアラート対応に追われています。AIが「正論」を述べるだけでなく、実務上の「手足」として機能し、これらの時間を物理的に短縮できるかどうかが、導入の成否を分けます。
日本企業特有の課題とAIによる「技能継承」
日本の組織文化において、セキュリティ運用におけるAI活用は「人材不足の解消」と「技能継承」という文脈で語られるべきです。日本企業は欧米のようなジョブ型雇用によるスペシャリストの確保が難しく、IT部門のジェネラリストがセキュリティを兼務するケースも少なくありません。
ここでLLMは、熟練アナリストの知見を補完する「副操縦士(Co-pilot)」としての役割が期待されます。例えば、難解なPowerShellスクリプトの解析や、脅威インテリジェンスの要約をAIが行うことで、経験の浅い担当者でも一定レベルの一次対応が可能になります。ただし、ここで重要になるのが「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」のリスクです。AIが誤った判断根拠を提示し、それをもとに人間が誤った遮断措置を行えば、業務停止などの実害に直結します。したがって、日本企業における導入では、AIの回答を人間が検証するプロセス(Human-in-the-Loop)を業務フローにどう組み込むかが、技術選定以上に重要になります。
日本企業のAI活用への示唆
グローバルのセキュリティ動向と日本の実情を踏まえると、意思決定者は以下のポイントを意識すべきです。
1. ベンチマーク至上主義からの脱却
「リーダーボードで上位のモデルだから安心」という考えを捨ててください。自社のログデータや運用ツールと連携させた際、具体的にどの業務(トリアージ、レポート作成、クエリ生成など)の時間を短縮できるかで評価を行う必要があります。
2. 「完全自動化」ではなく「判断支援」から始める
リスク回避志向の強い日本の組織では、最初からAIに防御アクションを自動実行させるのはハードルが高いでしょう。まずは「アラートの要約」「調査手順の提案」「レポートの下書き」など、人間の判断を支援する領域から導入し、信頼性を確認しながら適用範囲を広げるアプローチが現実的です。
3. ガバナンスと人材育成のセット運用
AIは魔法の杖ではありません。AIが提示した内容の真偽を見抜くための最低限のリテラシー教育は必須です。また、万が一AIが誤った判断をした際の責任の所在や、データプライバシー(機微なログデータを外部モデルに送信しないなど)に関するガバナンスルールを整備することが、持続的な活用の前提となります。
