生成AIブームの中心はこれまでテキストや画像を扱うLLMでしたが、企業の基幹システムに眠る「構造化データ」に特化したAIモデルへの注目が高まっています。SAPが開発を進めるTabular AIモデルを題材に、LLMが苦手とする領域をどう補完し、日本企業のDXを加速させるかについて解説します。
テキストではなく「数字とロジック」を理解するAIの台頭
昨今の生成AIブームは、OpenAIのGPTシリーズに代表される大規模言語モデル(LLM)によって牽引されてきました。LLMはインターネット上の膨大なテキストデータを学習しており、自然言語の流暢な生成や要約、コード生成において卓越した能力を発揮します。しかし、多くの日本企業が抱える「実務上の課題」に対し、LLMだけでは解決できない壁が存在することも明らかになりつつあります。
その最大の壁が、ERP(統合基幹業務システム)やデータベースに蓄積された「構造化データ(Tabular Data)」の扱いです。LLMは「次に来る単語」を予測するのは得意ですが、複雑なデータベースのテーブル結合(Join)や、厳密な数値計算、ビジネスロジックの因果関係を正確に理解することは苦手としています。いわゆる「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」のリスクも、正確性が求められる計数管理業務では致命的です。
こうした背景の中、SAPなどのエンタープライズIT巨人が注力しているのが、テキストではなく行と列で構成された表形式データを学習した「Tabular AIモデル(構造化データ向け基盤モデル)」です。記事にあるSAPの「RPT-1」などはその好例であり、LLMとは異なるアーキテクチャでビジネスデータの真価を引き出そうとしています。
なぜ「Tabular AI」が日本企業に必要なのか
日本企業の現場は、依然としてリレーショナルデータベース(RDB)とExcelによって支えられています。財務会計、サプライチェーン管理、人事データなど、意思決定の根幹に関わる情報はすべて「行と列」の構造化データです。これらのデータからインサイトを得るために、これまでは人間がSQLを書くか、高コストなデータサイエンティストが専用の予測モデルを個別に構築する必要がありました。
Tabular AIの強みは、これらの構造化データの「関係性」自体を事前学習している点にあります。例えば、売上データと在庫データの相関や、特定の条件下での欠品リスクなどを、個別のチューニングなし(ゼロショット)あるいは少量のデータ学習(ファインチューニング)で予測・検知できる可能性を秘めています。これは、熟練の担当者が長年の勘で培ってきた「数字の違和感に気づく能力」をAI化するアプローチとも言えます。
「LLM × Tabular AI」のハイブリッド活用
もちろん、これはLLMが不要になるという意味ではありません。むしろ、今後は「インターフェースとしてのLLM」と「計算・推論エンジンとしてのTabular AI」を組み合わせるハイブリッドな活用が主流になるでしょう。
例えば、ユーザーが自然言語で「来期の関西エリアの在庫リスクを教えて」とLLMに問いかけると、裏側でTabular AIが基幹データを分析し、その結果を再びLLMが自然な日本語で解説する、といった構成です。これにより、LLM単体で発生しがちな数値の誤りやロジックの破綻を防ぎつつ、対話的な操作性を維持することが可能になります。
日本企業のAI活用への示唆
SAPの事例は単なる一ベンダーのニュースではなく、企業AIが「お遊び」から「基幹業務」へとシフトしていることの証左です。これを踏まえ、日本企業のリーダーや実務者は以下の点を意識すべきです。
- 「なんでもLLM」からの脱却:
すべての課題をLLM(ChatGPT等)だけで解決しようとせず、扱うデータの種類(テキストか、数値・構造化データか)に応じて適切なモデルを選定するアーキテクチャ設計が必要です。 - データ整備(Data Preparation)の再評価:
Tabular AIは構造化データを扱いますが、その精度は「データの質」に依存します。日本企業にありがちな「神Excel(見た目重視で構造が崩れたExcel)」や、部門ごとに分断されたデータサイロは、最新AIの導入において最大の障害となります。AI導入の前段階として、データの標準化とクレンジングへの投資が不可欠です。 - 説明可能性(Explainability)の確保:
金融や製造の現場では、AIの回答に対して「なぜそうなったか」の説明が求められます。LLMのブラックボックス性はコンプライアンス上のリスクになりますが、構造化データに特化したモデルであれば、どの変数が寄与したかを特定しやすい場合があります。ガバナンスの観点からも、モデルの使い分けは重要です。
AIの技術は日々進化していますが、「自社のデータ資産をどう活かすか」という本質は変わりません。流行のLLMだけでなく、足元のデータベースを理解できるAI技術にも目を向けることが、実利あるDXへの近道となるでしょう。
