米バイオテクノロジー企業リジェネロン(Regeneron)のトップサイエンティストが、トランプ政権下の政策と並んで「AIの問題点」について語りました。創薬という最先端の研究開発(R&D)現場からの視点は、AIを「魔法の杖」として過信しがちな日本企業に対し、ドメイン知識の重要性と「AIによる予測」と「現実の検証」のギャップを埋める必要性を強く示唆しています。
AIブームの裏側にある「現場の冷徹な視線」
生成AIやAlphaFoldに代表されるタンパク質構造解析AIの登場により、ライフサイエンス業界はかつてないほどのAIブームに沸いています。しかし、抗体医薬の開発で世界をリードするリジェネロン・ファーマシューティカルズのジョージ・ヤンコプロスCSO(最高科学責任者)のような現場の第一人者が「AIの問題点」を指摘することは、非常に示唆に富んでいます。
彼らのような科学者が懸念するのは、AIが導き出す答えが必ずしも「生物学的な真実」を反映しているとは限らないという点です。AIは膨大なデータからパターンを見つけ出すことには長けていますが、それが実際に人体の中で安全かつ効果的に機能するかどうかは別問題です。これは創薬に限らず、製造業のシミュレーションや金融の市場予測など、複雑な現実世界を扱うすべてのAIプロジェクトに共通する課題です。
「Dry」の予測を「Wet」で検証するプロセスの欠如
ライフサイエンス分野では、計算機上で行う実験を「Dry(ドライ)」、実際の細胞や試薬を使う実験を「Wet(ウェット)」と呼びます。AIはあくまで「Dry」の世界で確率的な最適解を出しているに過ぎません。
日本企業がAI活用を進める際、しばしば陥りがちなのが「AIが出した予測値」をそのまま「結論」として扱ってしまうことです。しかし、リジェネロンのような実務家が重視するのは、AIによる予測(仮説生成)のスピードアップそのものではなく、それをいかに迅速に「Wet」な実験で検証し、フィードバックをループさせるかという点です。
AIは「もっともらしい嘘(ハルシネーション)」をつくことがあります。言語モデルが事実とは異なる文章を生成するように、創薬AIも現実には存在し得ない、あるいは毒性のある分子構造を提案することがあります。したがって、AI活用において最も重要なのは、AIそのものの性能よりも、その出力を厳しく評価・検証できる「人間の専門性(ドメイン知識)」と「実験・検証環境」の整備にあると言えます。
日本企業が直面する「手段の目的化」というリスク
日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)現場では、「AIを使って何かをする」こと自体が目的化してしまうケースが散見されます。しかし、上述のようなバイオテックの事例が教えるのは、AIはあくまで「強力な仮説生成ツール」であるという事実です。
特に日本の製造業や素材産業においては、長年蓄積された「現場の知見(暗黙知)」が存在します。AI導入において重要なのは、現場の職人やエンジニアをAIに置き換えることではなく、彼らの知見を教師データとしてAIに学習させ、AIが弾き出した無数の選択肢の中から、人間が最終的な意思決定を行うという「Human-in-the-loop(人間が関与するループ)」の体制を構築することです。
日本企業のAI活用への示唆
リジェネロンのトップサイエンティストによる指摘を日本のビジネス文脈に置き換えると、以下の3点が重要な示唆として浮かび上がります。
1. 「予測」と「現実」の区別を厳格化する
AIの出力はあくまで「確率的な推論」です。特に品質保証やコンプライアンスが重視される日本企業においては、AIの回答を鵜呑みにせず、必ず実務的な検証プロセス(PoCや実地テスト)を挟む業務フローを設計する必要があります。
2. ドメインエキスパートの復権
AI時代だからこそ、特定の産業や業務に精通した専門家の価値が高まります。AIエンジニアだけでプロジェクトを進めるのではなく、現場の業務内容やリスクを熟知したベテラン社員をプロジェクトの中心に据え、AIの出力を評価させる体制が不可欠です。
3. 「失敗コスト」を下げるためのAI活用
AIの最大のメリットは「正解を一発で出すこと」ではなく、「明らかに失敗する選択肢を事前に排除し、試行錯誤の効率を上げること」にあります。過度な期待を持たず、R&Dや業務プロセスの効率化ツールとして、冷徹かつ実利的にAIを使い倒す姿勢が求められます。
