生成AIの活用が進む中、単純な検索拡張生成(RAG)の限界が指摘され始めています。本稿では、最新の学術研究である「大学教育におけるLLM拡張ナレッジグラフ」の事例をヒントに、企業内データの複雑な関係性をAIに理解させるための「ナレッジグラフ」活用の可能性と、日本企業が直面する実装上の課題について解説します。
RAGの「次のステップ」としてのナレッジグラフ
現在、多くの日本企業が社内ドキュメントを検索・要約するために、RAG(Retrieval-Augmented Generation)の導入を進めています。しかし、PDFやテキストを単純にベクトル化して検索する従来の手法では、「用語間の複雑な関係性を理解できない」「回答の根拠が曖昧になる」といった課題に直面することが少なくありません。
今回参照した研究論文「The Advantages and Constraints of LLM-Augmented Knowledge Graphs in University…」は、大学教育という複雑な知識体系を持つ領域において、大規模言語モデル(LLM)とナレッジグラフ(Knowledge Graph)を統合するアプローチについて論じています。これは、企業におけるナレッジマネジメントにもそのまま応用可能なテーマです。
ナレッジグラフとは、物事の関係性を「ノード(点)」と「エッジ(線)」で構造化したデータベースのことです。たとえば、「製品A」は「部品B」を含み、「部品B」は「サプライヤーC」から調達されている、といった関係性を明示的に定義します。これをLLMと組み合わせることで、単なる単語の類似性だけでなく、論理的なつながりに基づいた回答生成が可能になります。
LLM×ナレッジグラフのメリット:説明可能性と正確性
このアプローチの最大の利点は、AIの回答に対する「説明可能性(Explainability)」と「正確性」の向上です。
従来のRAGは、関連しそうな文章の断片をつぎはぎして回答を作る傾向がありますが、ナレッジグラフを介在させることで、「なぜその答えになったのか」という論理構造を辿ることが容易になります。特に、日本の商習慣においては、意思決定のプロセスや根拠が厳格に求められる場面が多く、AIが「もっともらしい嘘(ハルシネーション)」をつくリスクを低減できる点は大きなメリットです。
また、大学のカリキュラムが科目間の依存関係を持つように、企業活動も組織、プロジェクト、契約、規制などが複雑に絡み合っています。こうした「構造化された知識」を扱う場合、ナレッジグラフはベクトル検索よりも優れた推論能力を発揮します。
実装の壁:コストとメンテナンスの課題
一方で、実務的な課題も無視できません。ナレッジグラフの構築と運用には、高い専門性とコストが伴います。
テキストを放り込めば自動的にインデックス化されるベクトルデータベースとは異なり、ナレッジグラフは「どのような関係性を定義するか(スキーマ設計)」を人間が設計するか、あるいはLLMを使って高品質に抽出させるパイプラインを構築する必要があります。特に、人事異動や組織改編、法改正などが頻繁に起こる日本企業においては、グラフデータの鮮度を維持するためのメンテナンスコストがネックになりがちです。
また、すべての情報をグラフ化する必要はありません。定型的なQ&Aであれば従来の検索で十分な場合も多く、コスト対効果を見極めた「使い分け」が求められます。
日本企業のAI活用への示唆
以上の動向を踏まえ、日本の実務者は以下の3点を意識してプロジェクトを進めるべきでしょう。
1. 「Graph RAG」への段階的な移行
現在、Microsoft等の主要ベンダーも「Graph RAG」と呼ばれる手法に注力し始めています。まずは現在のRAGシステムの弱点(複雑な相関関係の回答ミスなど)を特定し、重要なドメイン(例:法規制対応、複雑な製品仕様)に限定してナレッジグラフの導入を検討するのが現実的です。
2. データガバナンスと「暗黙知」の構造化
ナレッジグラフの構築は、自社のデータ整理そのものです。日本企業に多い「属人化したExcel」や「阿吽の呼吸」で運用されている業務知識を、AIが理解できる形式(トリプル:主語・述語・目的語)に落とし込む良い機会となります。これはAI導入以前の、DXの本質的な課題解決にも寄与します。
3. ハイブリッドアプローチの採用
すべてをグラフ化するのではなく、非構造化データに強い「ベクトル検索」と、構造化データに強い「ナレッジグラフ」を組み合わせるハイブリッドな構成が、当面の最適解となります。過度な期待を持たず、適材適所で技術を組み合わせるエンジニアリング視点が重要です。
