英国が国家主導で進めたAIインフラ整備計画から1年が経過し、その成果と課題が浮き彫りになりつつあります。計算資源の確保はAI競争力の前提条件ですが、それだけで産業競争力が向上するわけではありません。本稿では、英国の事例を「他山の石」とし、日本の「ソブリンAI」戦略や、日本企業が直面するインフラ・ガバナンスの課題について、実務的な視点から解説します。
国家主導の「AIインフラ」整備は成功したか
英国では、キア・スターマー政権下で発表された国家AI戦略に基づき、過去1年間にわたりAIインフラへの大規模な投資が行われてきました。これには、政府主導によるスーパーコンピュータやデータセンターへの投資、計算資源(Compute)の国内確保が含まれます。この動きは、AIを経済成長の起爆剤とし、同時に国家安全保障上のリスク管理を行うための基盤作りとして位置づけられていました。
しかし、1年を経て見えてきたのは、「ハードウェアとしてのインフラ」と「ソフトウェア・サービスとしての価値創出」の間にある深い溝です。GPUなどの計算資源を物理的に国内に確保することは、供給リスクの低減やデータ主権(データ・ソブリンティ)の観点からは一定の成果を上げましたが、それが直ちに民間企業の生産性向上やイノベーションに結びついたかというと、評価は分かれます。
「箱モノ」から「実利用」への転換点
日本企業にとっても、これは対岸の火事ではありません。現在、日本国内でも経済産業省やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の支援により、国内の計算基盤整備や国産LLM(大規模言語モデル)の開発支援プロジェクト(GENIAC等)が進められています。
英国の事例が示唆するのは、インフラはあくまで「土台」に過ぎないという事実です。企業にとって重要なのは、その計算資源を使って「何を解くか」です。インフラが整備されても、それを使いこなすMLOps(機械学習基盤の運用)エンジニアの不足や、既存の業務フローにAIを組み込む際の組織的な摩擦がボトルネックとなり、ROI(投資対効果)が見えにくい状況が続いています。
日本特有の課題:電力コストとデータガバナンス
英国と同様、あるいはそれ以上に日本で深刻なのが「電力」と「ガバナンス」の問題です。
生成AIの運用には膨大な電力が必要ですが、日本の電気料金は国際的に見ても高水準であり、円安の影響も受けています。オンプレミス(自社保有)や国内データセンターでAI基盤を構築・運用する場合、ランニングコストが想定を超過するリスクがあります。そのため、機密性の高いデータは国内基盤で処理し、汎用的なタスクはコスト効率の良いグローバルなクラウドサービスを利用するといった「ハイブリッド戦略」が、日本企業にとって現実的な解となります。
また、ガバナンスに関しては、EUのような厳格な法規制(EU AI法)と、米国のようなイノベーション重視の姿勢の間で、日本は「ソフトロー(法的拘束力のない指針)」を中心とした柔軟な規制を採用しています。しかし、これは裏を返せば「各企業の自主判断」の責任が重いことを意味します。著作権法の解釈や、出力結果に対する責任範囲について、企業は社内ポリシーを明確化し、現場が萎縮しないようなガードレールを設ける必要があります。
日本企業のAI活用への示唆
英国のインフラ戦略の教訓と日本の現状を踏まえ、意思決定者や実務担当者は以下のポイントを意識すべきです。
1. 「自前主義」と「外部活用」の冷静な線引き
国家レベルでの計算資源確保は重要ですが、一企業がすべてを自前で抱える必要はありません。コアとなる競争力の源泉(独自の学習データやドメイン知識)には投資しつつ、モデルの推論環境やインフラはコスト対効果をシビアに見極め、SaaSやマネージドサービスを積極的に活用するバランス感覚が求められます。
2. 技術的なPoCから「組織的なPoC」へ
「AIが動くか」を検証する技術的な概念実証(PoC)のフェーズは終わりつつあります。今後は、「AIを導入した業務プロセスが、日本の商習慣や現場の抵抗感を含めて回るか」という組織的な検証が必要です。特に日本では、現場の職人芸や暗黙知をAIがいかに補完・継承できるかという視点が、定着の鍵を握ります。
3. リスクベース・アプローチによるガバナンス構築
AI活用を「禁止」するのではなく、用途に応じたリスク評価を行い、適切な管理下で利用を促進する体制が必要です。例えば、個人情報を含まない社内文書の要約には緩やかな制限を、顧客対応の自動化には厳格なハルシネーション(もっともらしい嘘)対策を設けるなど、メリハリのあるガバナンスが企業の競争力を左右します。
