米国の著名SF作家ジョン・スカルジー氏がMicrosoft Copilotを利用した際、自身の著書に関する事実誤認(ハルシネーション)に遭遇した事例が議論を呼んでいます。本稿では、この事例を端緒に大規模言語モデル(LLM)が抱える構造的な課題を解説し、日本企業が業務活用する際に留意すべきリスク管理とガバナンスの要諦を考察します。
著名作家が直面したAIの「事実誤認」
米国で権威あるSF文学賞、ヒューゴー賞受賞経験を持つ作家ジョン・スカルジー(John Scalzi)氏のブログ記事が、AI技術者の間で話題となりました。氏はMicrosoftのCopilotに対し、自身の著書の献辞(Dedication)について尋ねたところ、AIは事実とは異なる内容をもっともらしく回答したといいます。
この事例は、生成AI、とりわけ大規模言語モデル(LLM)が抱える「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる現象の典型例です。AIは膨大なデータを学習していますが、データベースのように事実を正確に検索して提示するわけではありません。あくまで「確率的に次に来る言葉」を予測して文章を生成しているに過ぎず、その過程で事実に基づかない情報を、さも真実であるかのように流暢に語ってしまうことがあります。
なぜAIは「嘘」をつくのか:構造的限界の理解
企業がAIを導入する際、まず理解しなければならないのは、LLMは「知識エンジン」ではなく「推論・言語化エンジン」であるという点です。今回の事例のように、特定の書籍の献辞といったニッチな事実情報については、学習データに含まれていても重み付けが低かったり、他の類似情報と混同されたりすることで、誤った回答が出力されやすくなります。
特に商用利用において危険なのは、AIが「分かりません」と答えるのではなく、自信満々に誤情報を提示する点です。これは、LLMがユーザーの意図を汲み取り、対話を成立させることを優先するように調整(アライメント)されている副作用とも言えます。
日本企業におけるリスクと対策
日本企業、とりわけ信頼性を重んじる金融、製造、ヘルスケアなどの領域や、顧客対応(CS)部門において、このようなハルシネーションは致命的なリスクとなり得ます。誤った製品仕様の回答や、存在しない規約に基づく案内は、コンプライアンス違反やブランド毀損に直結します。
この問題に対処するため、技術的にはRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)という手法が標準になりつつあります。これはAIに社内ドキュメントや信頼できる外部データベースを検索させ、その検索結果に基づいて回答を生成させる技術です。しかし、RAGを用いても100%の精度保証は困難であり、参照元データ自体が誤っている場合のリスクも残ります。
日本企業のAI活用への示唆
今回の事例と技術的背景を踏まえ、日本の実務担当者は以下の点に留意してAI活用を進めるべきです。
- 用途の選定と期待値の調整:「正確な事実確認」をAI単体に任せるのは避けるべきです。要約、翻訳、アイデア出し、コード生成の補助など、AIが得意とするタスクと、厳密性が求められるタスクを明確に切り分ける必要があります。
- Human-in-the-loop(人間による確認)の徹底:外部へ出力する情報や重要な意思決定に関しては、必ず人間がファクトチェックを行うプロセスを業務フローに組み込むことが不可欠です。特に日本特有の商習慣や法的文脈においては、AIの直訳的な解釈が誤解を招くこともあるため、人の目による監修が重要です。
- AIリテラシー教育の実施:「AIは嘘をつくことがある」という前提を、エンジニアだけでなく、経営層や現場のエンドユーザーまで浸透させる必要があります。AIの回答を盲信せず、検証する姿勢を組織文化として定着させることが、AIガバナンスの第一歩となります。
