米国の教育現場では今、生成AIによる課題作成や不正を防ぐため、あえて最も古典的な手法である「口頭試問(Oral Exams)」へ回帰する動きが見られます。このトレンドは単なる教育界の一過性の現象ではなく、企業における採用活動、人材評価、そして日々の業務プロセスにおいて「人間の付加価値」をどこに見出すべきかという、極めて本質的な問いを投げかけています。
AI対策としての「口頭試問」への回帰
Washington Post紙が報じたところによると、米国の一部の教育機関において、学生の理解度を測るために筆記試験やレポート課題ではなく、「口頭試問」を導入する事例が増加しています。ChatGPTなどの強力な大規模言語モデル(LLM)が登場し、学生がAIを用いて容易に高品質なエッセイや解答を作成できるようになった現在、提出された成果物だけで本人の知識や論理的思考力を評価することが困難になっているためです。
これはテクノロジーへの逆行に見えるかもしれませんが、実際には「生成されたアウトプット」そのものの価値がコモディティ化(一般化)した結果、そのアウトプットに至るまでの「思考プロセス」や、内容を自身の言葉で説明できる「解像度の高さ」を直接確認する必要性が高まったことを意味しています。
ビジネスにおける「成果物」の定義が変わる
この教育界の動きは、そのまま日本のビジネス現場にも当てはまります。これまで、企画書、報告書、プログラムのソースコードなどは、作成に時間を要する「成果物」として評価されてきました。しかし、生成AIを活用すれば、これらは短時間で、かつ一定以上の品質で作成可能です。
今後のビジネス実務では、単にきれいなドキュメントや動くコードを提出するだけでは不十分となります。その内容について、「なぜこの結論に至ったのか」「AIが出力したこの部分のリスクは何か」「代替案と比較してなぜこれが最適なのか」を、口頭や対話を通じて論理的に説明(ディフェンス)できる能力が、真の「業務遂行能力」として問われるようになります。
日本の採用・人材育成への影響
特に影響が大きいと考えられるのが、採用活動と若手育成です。エントリーシートや事前のWebテスト、あるいはコーディング課題などは、AIによる支援を受けやすいため、候補者の選抜基準としての信頼性が低下しつつあります。
日本企業においても、これまでの書類選考重視のプロセスから、対面またはオンラインでの対話を重視する方向へシフトせざるを得ないでしょう。エンジニア採用であれば、書かれたコードの解説を求める「ホワイトボード面接」のような形式の重要性が増します。また、新入社員研修においても、AIツールを使いこなすスキル(プロンプトエンジニアリング)だけでなく、AIの出力を批判的に検証し、上長や顧客に対して責任を持って説明できる「アカウンタビリティ(説明責任)」の教育が不可欠になります。
日本企業のAI活用への示唆
今回の事例から、日本企業の経営層および実務リーダーは以下の点を意識してAI活用と組織づくりを進めるべきです。
・評価基準の再定義:
人事評価やプロジェクト評価において、ドキュメントの「量」や「見栄え」への評価ウェイトを下げ、対話による「理解度」や「説明能力」を重視する方向へシフトする必要があります。これは形骸化しがちな承認プロセスを、実質的な議論の場へと変える好機でもあります。
・「人間がボトルネック」になるリスクの管理:
AI活用により作成スピードが上がっても、最終的な確認・承認(人間による口頭確認など)に時間がかかれば、そこが新たなボトルネックになります。AIに任せる領域と、人間が責任を持って確認する領域(Human-in-the-loop)を明確に区分するガバナンスが必要です。
・採用プロセスの見直し:
書類選考の比重を見直し、早い段階で「対話」を取り入れることが、ミスマッチ防止につながります。候補者がAIを「どう使いこなしているか」も含めて、プロセスを問う面接設計が求められます。
AIは強力なツールですが、最終的な責任の所在は人間にあります。教育界での「口頭試問への回帰」は、AI時代だからこそ、アナログなコミュニケーションによる信頼担保が重要になることを示しています。
